武士は人を切るために刀を持っているのではない。天下を治めるために刀を持っているのだ。
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鎌倉時代、有名な刀鍛冶がいた。
その刀鍛冶には「たがね」という一人娘がいた。年頃になった一人娘には自分の弟子のうち一番優れた刀を鍛えたものを婿に選ぼうと決めた。試験を重ね、最後に二人が残った。
一人は後に妖刀を生む村正。もう一人は貞宗。
刀鍛冶は小川の流れに二人の鍛えた刀を刺した。すると村正の刀は川から流れてくるものを吸い付けるように引き寄せ、刀が触れるか触れないかの間にブツッと切ってしまう。ところが、貞宗の鍛えた刀は藁が流れてきても引っかかってしまうだけで切れない。
村正は勝った、と思った。
そこで刀鍛冶が貞宗の刀をスゥッと引き上げた。すると藁はプツンと切れて流れていった。刀鍛冶は貞宗の刀を取りあげ言った。
『村正の刀は何でも引き寄せて切ってしまう。貞宗の刀は切ろうという心を働かさなければ切れない。これこそ武士の持つ刀である。なぜなら武士は人を切るために刀を持っているのではない。天下を治めるために刀を持っているのだ』と。
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これは友人から勧められた「人間の格(芳村思風)」の一節。
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とても考えさせられる話だ。
人は感情を持っている。それゆえに人間らしくあるのだけれど、時に感情に振り回される時がある。それはまさしく、妖刀に振り回される武士と同じではないか、と。
武士にとって刀は大切なものではあるが、それはあくまで人格をもって扱ってこそだ。もちろん帯刀しない、という選択肢もあるがそれは人間らしくあるというよりも武士をやめて出家するに近い。
刀そのものに振り回されることなく、自らの意思で鍛えあげてゆく。良書を教えてくれた友人に感謝。