自分の存在理由について | 株式会社イプラ社長のブログ【タイツ社長のこちら販売促進課】

自分の存在理由について

いま、村上春樹氏の<ノルウェイの森>が上映されています。
学生時代に読みましたが、「よくわからないが、確かに胸に残る」強烈な読後感を今でも覚えています。
あの後も何度も繰り返し繰り返し読みましたが、登場人物の哲学的なセリフや村上春樹氏の独特のレトリックは今でも新鮮さを失っていません。


1987年発刊の小説が現代でも映画化されてしまうことがそれを証明します。
村上春樹氏の作品の特徴は、読み返す度に自分の中で掘り起こされる感覚に何度も巡り合えること。


「僕が三番目に寝た女の子は、僕のペニスのことを「あなたのレーゾン・デートゥル」と呼んだ。」
<村上春樹氏 風の歌を聴け>


当時、高校生だった私はこの表現がまったく持って意味分からず、村上春樹もヤキが回ったな・・・と勝手に思っていました(笑)。

レーゾン・デートゥルとは「存在理由」の意味です。


「我思う。ゆえに我あり。」(デカルト)


大学で本格的に心理学を学ぶ前、哲学も専攻しました。
その際、哲学専攻の少し変わった同級生と知り合い、村上春樹作品の哲学的観念について色々と教えてもらいました。


自分の存在理由(レーゾン・デートゥル)は生まれた時はわかりません。


自分はなぜ生まれてきたのか?
何のために生きていくのか?
何を求めているのか?
どこに向かうのか?
そもそも求められているのか?


それを探し続け、もがき続けることが「生きる」こと。

自分の内面にはいくつもの「可能性」の窓が開いていて、しかしどの窓が「本来の自分」なのかわからない。
人と接したり、恋愛をしたり、新しい本に出会うことで自分の知らない窓が解き開かれていきます。
しかし、やっぱり自分の存在理由をその時代や、感情や、生き方の過程から探し求めることは続いていくのです。


それがわかる時は、人生を終える時。
失ってみて、その窓が他人の目から見てどんな窓だったのかわかります。


大学3年の時、哲学について語り合った同級生は自分の部屋で命を絶ちました。
冬休みに入る前のちょうど今の頃だったでしょうか。


彼のレーゾン・デートゥルは見つかったのだろうか?とふと思います。

36歳の私が今でもふと思い出すこと。
少なくともそれが、私にとって「彼のレーゾン・デートゥル」なのかなと思います。