きれいごとを「きれいごと」にはしない
ええっと・・・。
先日、出張先で不思議なご縁を得ました。
その方(会社)とはお取引はあったのですが、実はお会いするのは初めてでした。
本当に偶然、数ある表敬訪問の途中でお会いしたのです。
その方は自動車関連のお仕事をされておりますが、「書」にも通じておられ、その時に浮かんだ言葉や気持ちを「書」に書き留めてらっしゃいます。
その壁にある書を見てすぐ、私は惹かれ、直感的にその「書」を通じて当社の企画とコラボレーションできないかと思い、その瞬間、イメージを言葉に出していました。
その日は、その旨だけをお伝えして愛媛に戻りました。
今月は出張続きでほとんど愛媛にいなかったこともあり、再び愛媛を離れ訪問する予定はまだ見えませんでした。
しかし、何か心の中にざわめきが残っていました。
今までもアイデアは浮かぶが形にはならず私の手帳に埋没(後回しに)しているものがありますが、この件は「同じ」にすべきではないとなぜか強く思いました。
お会いして4日後に再び出張の準備をし、アポイントのお電話を差し上げて2回目のご縁となったわけです。
そして、こんな素敵な書をしたためて、その方は私とのご縁を待っていてくれました。
<感謝 愛媛には「愛」がある 愛には「心」がある 心がないと企画はできない>
その方は「辰馬」という屋号で書を綴られております。
そして、その屋号は今は亡き御祖父様のお名前だそうです。
また、書をしたためる硯や筆は御祖父様が使用されていたものです。
昭和27年から御祖父の代より使われている筆と硯
いつか自分の書を通じて人に喜んでもらいたいという思いがあったそうですが、今は「思い」を書き連ねるに留まっておられました。
その方が話してくれました。
「実は知り合いが占いに通じているので占ってもらったがよ(方言?)。そうしたら、ここ数年の流れを変える大きな事が起こると。すると小田さんがふと来て、自分の書を見てコラボレーションしてみたいと。嬉しくて、またこちらから連絡しようかと思ったのだけど、これが『本物』なら自分の運を信じて待ってみようと。そうしたらすぐ小田さんから電話があって『明日、会いたい』と。偶然にも電話いただいた日を調べたら『大安』だったがよ」
それを聞いて、鳥肌が立ちました。
先日、フロー理論(企業ソニーの燃える集団)について読んだばかりなので、この表現が頭をよぎりました。
『フロー状態では、アイデアは湯水のようにあふれ、たちはだかる壁はいとも簡単にぶち破られ、出会うべき人に出会うべきタイミングで出会い、意味ある偶然が多発する。』
「僕はきれいごとをきれいごとにはしたくないがよ。きれいごとは『言葉』だけだからきれいごとになる。それが実現すれば、それはきれいごとではなくなる(実現していないから「きれいごとを言うなよ!」の話になる)。だからきれいごとを『きれいごと』にはしたくないがよ。」
若干32歳の「辰馬」氏は、色々な経験をされてこられたのでしょう。
書を通じて言葉(魂)を語られる方だからこそ、この意味は深い・・・。

