東京の母親 | 株式会社イプラ社長のブログ【タイツ社長のこちら販売促進課】

東京の母親


ええっと。
4年ぶりに以前お世話になった方とお会いしてきました。
(休みの日に出勤してくれた河野さん、竹中さん、ありがとう。)


前の会社でお世話になった上司や先輩・後輩、一緒に働いた人達です。今があるのはこの方達から色々なことを教わって、支えられたお陰です。




私は4年前に会社を辞めて貯えも何も無い状態で愛媛に戻りました。でも大切な財産は東京で残されていました。私にとって本当にかけがえのない財産です。本当に感謝です。


ちょうど11年前に東京で新卒採用されたころ、会社の清掃係の前田さんという女性と知り合いました。現在は73歳になります。その方とも4年ぶりの再開です。



当時、営業採用で飲み込みの悪かった私は、新人の自分にできることは二つしかない、と思っていました。


・誰よりも元気に返事すること


・誰よりも会社に早く来ること


それでも私は会社で3番目。誰もいない会社に一番で出社してるのは総務課長。2番目に掃除係の前田さん。そして私。営業フロアの鍵を預かって階段を降りる途中に、掃除係の前田さんから


「小田ちゃんはいつも早いねぇ!えらいねぇ!」


まるで社長から褒められたように嬉しかったことを憶えています。早く来ることで、仕事のできない新人でも唯一認められたような気になったものです。


そんな前田さんの息子さんが3年前に急逝されます・・・。
息子さんとの二人三脚でようやく社会に送り出したのに。会社の飲み会で急にいびきをかいて倒れたのを誰も気付かずに。急性アルコール中毒でした。息子さんは私と同じ歳でした。


ブログを書いてて、こんなに悲しくて何度も編集しては削除して、思いとどまって、やっぱりまた書いて・・・。とてもやるせない気持ちです。前田さん、どんなに辛かったことか。。。


それでも意識不明のまま息子さんはしばらく頑張ったそうです。前田さんは清掃のお仕事も辞めてずっと息子さんのそばで看病しました。でも、それも解放されるときが来てしまいます。それは回復とは全く逆の悲しい結果でした。


会って何を言ったら慰めることができるんだろう?何をしてあげたら気持ちを楽にしてあげられるんだろう?考えても考えても何も出てこない・・・。


結局、何一つできないことがわかると、僕がしてあげたいことをしてあげることに決めました。前田さんに会って再開を喜び、本をプレゼントしました。
そして


「新人の頃、まるで東京の母親のようにお世話になったんです。だから愛媛にちょっと出来の悪い息子がいると思っていつでも訪ねてきてくださいね。」


そういうのが精一杯でした。。。


前田さんは涙でくしゃくしゃになりながら、ずっと再開を喜んでくれていました。
彼女の悲しみやつらさを僕は少しでも癒すことができたのだろうか・・・。結局のところ、誰かになにかしてあげられるなんておこがましいのかもしれません。


でも、そんなのでよければ、いくらでも涙で洗い流してあげたいと思います。