97歳になります
ええっと・・・。
8月2日に経営方針会で行った中島へ先々週、再び訪れました。
東京にいる私の叔父さんと従姉弟が愛媛に遊びに来るということで、瀬戸内海に浮かぶ中島へ滞在です。
その時に夕焼けを一緒に見たのですが、こんな綺麗な夕焼けが日本で見られるとは思いませんでした。
以前にハワイで夕焼けを見たのですが、その頃の思い出がフラッシュバックして、まるでワイキキビーチにたたずんでいるような錯覚を覚えました。
PM6:30 太陽が山の向こうに沈んでいきます。
こんな景色を肴に、東京の叔父さんとお酒を飲みながら話していた時のことです。
私の実家にいる96歳のおばあちゃんの話になりました。
お酒で上機嫌になった叔父さんが
「おばあちゃんが100歳になったらお祝いにみんなで集まって、ここに連れてきてお祝いしたいなぁ!」
と言いました。
私のおばあちゃんは96歳、足が弱くて自走できず痴呆も進行しています。
ほぼ毎日顔を合わせる私でも日によっては私のことがわからない時があります。
「夢とうつつ」の境界がどんどん無くなりはじめている・・・。
(おばあちゃんが100歳になった時にここでお祝いしても、誰の事をお祝いしているのかわかるだろうか?
その前に、自分のことが「烏谷益子(おばあちゃんの名前)」ということすらわからないかもしれない・・・。)
私はふと思いました。
おばあちゃんは日に日に、老いています。毎日顔を見ている私にとって、子供が日に日に成長していくのを見る感情とはまったく別のものを感じています。
しかし今ならまだ、かろうじて自分が誰だかわかります。
生きているうちに何かしないと、意味がない・・・。
こう思う根底には、子供の時に見たNHK教育で放映していた海外ドラマ「大草原の小さな家」の、あるストーリーにあります。
タイトルは忘れてしまいましたが・・・。
確か、西部開拓時代の田舎町に2人のおばあさんが同居して住んでいるという話でした。
ところが、この内の一人のおばあさんが死んでしまいます。
お葬式を見ていたおばあさんはいたたまれない気持ちになります。
それは、このおばあちゃんが会いたくて仕方のなかった息子や娘たちが、死んでから会いに来たということでした。
きっと、自分もそうやって死んでいくに違いない。死んだおばあちゃんはいつも息子や娘に今年は会える、と信じて毎年期待と失望を繰り返していました。そしてそれは自分も同じです・・・。
彼女はある一大決心をします。主人公のローラの力を借りて、自分の葬儀の案内を親戚中や町中の人まで巻き込んで送るのです。
やがて自分の葬儀が始まり、懐かしい親戚が集まって来るのを、片すみで見ているのですが、行方不明の息子が来たときについに我慢出来ずに、顔を表します。
「何を考えているんだ!?母さん?」
「悪ふざけにもほどがあるよ?」
親戚中や町中に責め立てられるおばあちゃんはこう言います。
「母親が生きているあいだに息子や娘の顔を見たいと思うことはそんなに悪いことなのかい・・・?
死んでしまったから会えたって仕方ないじゃない・・・・。」
「どうしても生きているうちに会いたかったのだ」というおばあちゃんの訴えに親戚や町中の人も理解し、ローラのお父さん(チャールズ)が葬儀をパーティーに変更だ!と場を和ませて終わる内容でした・・・。
お酒の力もあってか、叔父さんに提案しました。
「私も長生きはして欲しい。でも区切りで何かをするということよりも今、まだ自分が誰だかわかるうちにしてあげることが大切だと思うんですが・・・。」
しばらく考えていた叔父さん・・・。
「よし!じゃあおばあちゃんの4人の子供、孫たちを集めて10月のおばあちゃんの誕生日にここで集まろう!幹事は泰平くんに任せる!」
叔父さんは数年前まで経営者でしたので、さすがに決断が早い・・・(^-^)/
10月の連休に親戚17人ほど中島に集めて盛大なおばあちゃんの「97歳お誕生会プロジェクト」が進行中です!
こんな楽しみなお誕生会は小学校以来。
このブログでアップできることを今から楽しみにしています!
