mamaマス認定講師 ふさこさんの記事が
タイムリーすぎて
胸をえぐられるように響いた。


おとといのできごと



息子の担任の先生からの連絡帳

図書室で本を選んでレポートを書く授業で
本すら選べなかったらしい。



正直がっかりした。


小さな頃から読み聞かせをしても
聞いている様子はなくどこか上の空。


読書に全く興味を示さない。





わたし自身心を学んでから

「嫌なことを無理してでもやらねば」とは
徐々に、確実に手放せてきている。
(例えば料理ね)



だから''嫌いなものはどうにもならない"と
とらえ方が変化をし、実際ラクにもなってきた。




しーかーしー


やっぱり悲しいものは悲しいよショボーン


六年生なのに。




何度もサポートしてきたつもりだけど

「できた?」
いつまで気にかけるのだろう。



これからどうなっちゃうんだろう。






数ヶ月前までは
できない息子を怒って責めていたけど

今は言葉に詰まられると
わたしが悲しくなってきちゃう。




「支援級から普通級に行きたい」



息子自身の意思はあるけれど
来年からの中学校ついていけるんだろうか。





はぁー
心配だー不安だー
未来が不安だーどうなっちゃうんだー
怖いよー
高校行けるのかな
せめて高校は行って欲しいよ
落ちこぼれをみるの怖いよー
あんなにのほほん生きてて社会に出れるのか




・・・




一生面倒みないといけなくなりそうで怖い








飛躍が止まらない







わたし自身
人の役に立たなければ存在する価値がない
というデッカイ思い込みを持っていることは
心得ている。




今まで生きてきたあらゆる場面で
相手の役に立って
褒められたかった
認めてもらいたかった




現在は育児や仕事において顕著で



‘’息子を助ける‘’役に立たなければならない
それがわたしのお役目だから
助けて、力になる
息子の役に立てる



息子の役に立たせてもらうことでわたしの現実は

ちゃーんと!
人の役に立つ思い込み通りに
なっている
ガーンщ(゚Д゚щ)





もうやだー
そんなのやだやだやだーえーん




死ぬまで歯を食いしばって
人の役に立ち続けるなんて
そんな人生やだやだやだーえーん




(これ、突き詰めると
母親への思いに繋がっていくんだけどさもやもや)



本当は息子のことを信じたいし

本当は役に立たないポンコツの自分も
いい加減受け入れたいんだ。

歯を食いしばるより笑って楽しく生きたいんだ。




息子は息子のペースで
確実に成長している、と頭は分かっている。
彼には彼の良さがあることも合格



大きな愛情があるからこそ
何かひとつを切り取っては不安になる

特に学習に関しては。




今日わたしの思いを全て息子に伝えた。
話しながら感極まってしまった。
息子もうなずきながら泣いていた。





ふたりでぽろぽろ泣いた。






息子を信じきれていないということは


私が自分を信じてきれていないということ

「世界は厳しいから今こそ頑張らないと!
将来厳しくなるに違いないから今頑張れ!」

未だ握りしめている。





その脳内は

優しい世界:厳しい世界=50:50



数値はわたしの思い込み度

フィフティ
厳しいと思い込みたいんだろうな…


2分の1
怖がっているんだろうな…


半分は
まだ傷ついたココロのバロメーターなんだ


承知した( ̄^ ̄)ゞ








名付けて
"役に立たなくてもいい☆
前提山" ※ 頂上はありのまま

ただいま5合目を登山中🗻






まだまだ登れる!







あきらめないよ