こんにちは、寒い日が続きますが、皆様つつがなくお過ごしですか?先日書きましたように、台湾は旧正月に向けて年末ムード満点でございます。☆-( ^-゚)v
ちなみに2016年の場合、2月8日が初一という旧暦の1月1日なのですが、暦の上では2月4日の17時48分が立春ですので、このときから丙申年になります。つまり、今日生まれた子はまだヒツジ年なんですね。
姑は「今日は市場に魚買いに行く!値上がりする前に買わないと」と言って、腕まくりをせんばかりの勢いでした。中華圏の正月料理(年菜)に「お魚一尾丸ごと」は縁起物として欠かせないものなんです。
さて今日は、かねがね思っていた「八字」というネーミングについて、ひと言申してみようかと思います。これって別の名前だったらよかったのに
中華圏の「八字」とは出生年月日時間を元に、その人の命ミンを見る技術ですが、これは日本で言う「四柱推命」の大もとというか、ベースになっているものと思われます。
しかし、「八字」と「日本の四柱推命」はイコールではないらしいことは、これまでこのブログで書いてきました。
というのも、「日本の四柱推命」には色々流派があって、その方法もだいぶ違っているらしいからです。少なくとも台湾には八字に流派などありません。
再三書いてますように、私は日本で命理学を勉強したことがないのであまりよく知らないのですが、どうも日本では四柱推命の流派によって「蔵干を見る」「見ない」とか、「十二運、用神、調候、格局などを無用のものとして排除する」とか「排除しない」とか、色々違いがあるようですね。
日本の各派ともに、その源流が「中国の八字」であることは否定しないと思うのですが…。
台湾の八字では、日本の四柱推命が敢えて無視しているものも、基本的には全て見ます。
なのに中国から日本にこの技術が輸入される過程で、いったいどこでそんな「これは見ない」って話しになってしまったのか( °д°)本当に謎です。
つらつら考えてみますに、「日本の先達による古典の中国語(漢語)の読解」に誤解があったのではないかと思うわけです。
以前、読者の方にこう教えてもらったことがあります。
「十二運、用神、調候、格局などを無用のものとして排除する」流派で勉強したが、この考えは「滴天髄やそれに準じる古典にこの考え方がある」からだと先生から習った…と。
なるほど…というわけで、手元の滴天髄を開いてみました。え~っと、滴天髄には確かに蔵干のことは書かれていません。が、この本は格局をメインにして書かれています。というか、格局にフォーカスしているために、他の蔵干、十二運(建)や調候などのについては、省いていると思います。なぜそれが日本では、格局や蔵干を見なくていいことになったのか?( ̄□ ̄;)
ちょっとここで、手元にある古典の一部を整理してみますと、このようになってます
『窮通寶鑑』 余春台原編 徐樂吾評註
『子平眞詮評註』沈孝瞻原著 徐樂吾評註
なにやら、徐樂吾さんなる方がバンバン解説を加えているようですが、私はこの方を直接には存じあげません…なにせ1886年清朝のお生まれで、私が生まれる前にもうなくなっていらっしゃいますし…。ざっと100年ほど前に活躍されていた方のようですが、大いに八字を研究されていたことは間違いないでしょう。
で、この『滴天髓』の解説も手掛けている徐樂吾さんが、やはり解説を加えている『窮通寶鑑』『子平眞詮評註』には蔵干、十二運(建)や調候などもバンバン書かれています。
つまり、『滴天髓』に蔵干、十二運(建)が書かれていないとしても、八字の大家である徐樂吾さんは別にこれらを否定する考えは持っていなかったと推論できます。
じゃ~なんで『滴天髓』には書かれていなかったのか
それは単に、「八字という学問体系が複雑多岐に渡っている為、『滴天髓』一冊に全てを記すことができなかったからだと思うのです。
だってね、同じく徐樂吾さんが解説を加えている『窮通寶鑑評註』を読むとわかるんですけど、この本は調候、調和の概念にフォーカスしているので、反対に格局のことはバッサリ省略されているんですよ。そのかわり調候、調和を解説するために、蔵干のことは沢山書かれています。
『子平眞詮評註』の冒頭にも月律分野表(人元司令分野表)が出ていて、「これを知らずしてこの本を読むべからず~」ってぐらいグイグイとプッシュされてます。(蔵干は人元とも呼びます)
つまり、本によってフォーカスしている八字の技術に違いがあるのだけれど、別にどの本も他の特定の技術を否定したり切り捨ててよいとは言ってはいないのです。
「一冊に八字の全部は書ききれなかった」それだけのことじゃないかと。
…とそんなことを考えていた私、ネットで調べてみたところ、なんと「空亡を見ないで鑑定する人」までいてですね、そりゃもう驚愕しました\(゜□゜)/。いくら~なんでも…と思ったものですから、ちょっと老師に聞いてみました。
何しろ「空亡」については、老師との八字学習が進むに連れてオーソドックスな年日空亡以外にも他の探し方がじゃんじゃん出てきて「まだあるの!?」アップアップ~って感じになっているものですから…空亡を無視するなんてそんなバカなと思ったわけです。
「老師~、日本では空亡は敵水髄や子平眞詮で否定されているから見ないと言う人がいるんですけど!やっぱりそれは、本に書ききれなかっただけですよね」
すると老師さっくり…
「あ、それね。そういうの秘訣だから本にはあんまり書いてないの。師弟間の口伝だから。」
へ?(゜ρ゜)なんだ…それって風水と同じですね。肝心なとこ本に書いてないってのは…。
前々から古典を読んでいて「この本には全然空亡が出てこないな」とか、「地支の合化が全くスルーだな」とは思っていたんですが、そういうことだったんですね。
いや別に、「日本の四柱推命は八字を基にしたオリジナルなんだ」という方がいたとしても、それはその考えを受け止めるべきだとは思うんです。m(_ _ )m
ただ、「中国古典でも○○を見るのは否定されている」という大いなる誤解だけは解いておきたいんですね。
ということで、日本に「八字のある種の技術を無視してよい」という誤解があるのはですね…、これは「八字」とか「四柱推命」というネーミングもいけないんじゃないかと思うのです。
「八字」って呼称だと、八文字だけ見て判断できるような誤解を与えちゃうし、四柱推命も「四柱だけ見ればいいじゃん」みたいなイメージを一般に植えつけるんじゃないでしょうかね
一口に「八字」と言っても、蔵干、十二運、用神、調候、通関、格局、納音、空亡、神煞、合化、刑沖剋害、胎元、暗合、暗夾や、もちろん大運、流年(以下略)などなど大量のデータを総合して判断するものなのですから。誰かふさわしい呼称を考えてくれないかしら、ああ、ややこしい…(><;)
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