富井化学工業従業員専用通勤列車 | 1910番のどーでもいいブログ

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趣味の鉄道・鉄道模型の話題が多いです。
小学生のころ、“しょうじょう”をたくさんもらった作文のうでを生かしていきたいとおもいます。
あまり期待しないでくたさい。


あけましておめでとうございます。
本年も拙ブログをよろしくお願いします。

新年一発目からよくわからないタイトルでスタートです。
先月末のことになりますが、鉄コレからまた変わり種な商品が発売されました。


富井化学工業従業員専用通勤列車3両セットA・B


工場へ向かう専用線を走る従業員専用の通勤列車をイメージした内容で、今回はノスタルジック鉄コレという扱いです。
第2弾の発売も発表されたノス鉄ですが、オープンパッケージでは始めての登場になります。
今後もこんな感じで“変わり種”的な商品展開になっていくのでしょうかね。

では、中身を少し詳しく見てみましょう。

まずはセットAから。
国鉄AB10形タイプの蓄電池機関車と、元電車の ステンレス製客車の3両セットです。
機関車はAB301、客車は運転台がある方がA号車、運転台が無い方がB号車となっています。

セットA


セットBは、国鉄EB10形タイプの電気機関車と、元電車の赤茶色の客車の3両セットです。
機関車はEB515、客車はパンタがある方が甲号車、パンタが無い方が乙号車となっています。

セットB


セットA・B共々、富井電鉄本線大森車庫駅構内側線より富井化学工業の工場へ分岐する専用線で使用されていたという設定で、当初はセットBの電気機関車と元電車の客車を使用していたが、安全性を向上させるために架線集電をやめて、セットAの蓄電池機関車とステンレス製客車を導入したという想定のようです。
※富井電鉄と富井化学工業は架空の企業です。路線名・駅名・車両も実在しないものとなります。念の為。

ただ、客車のほうはどう見ても東急の初代3000系と初代6000系です。
車体には富井電鉄の社章が印刷されていますが、形式などは何も書かれていません。


形式は何も書かれていない


以前発売された鉄道車両陸送セットも同じような状況でしたね。
あちらは京王の初代3000系でしたが、形式も会社名も何も書かれていない謎の車両でした。

詳しくは↓コチラへ…。



話を戻しますが、今回の電車のほうは“客車”という扱いなので自走はしない想定です。
(ただし、別売りの機関車用の小型動力ユニットは非力で客車をけん引できない恐れがあるので、客車にも動力ユニットを入れることを推奨している。)
パッケージのイラストだと客車のパンタグラフは折り畳まれた状態が描かれていました。
新規パーツかと思いきや、まさかの可動パンタ標準装備でした。


客車の方には可動式パンタを搭載


そして車体裏側の例の番号。
セットのすべての車両が「ノN」から始まっており、客車のほうもノス鉄の仲間入りです。


写真はセットAのもの


ところで、今回のような専用線を走る従業員専用の通勤列車は、実際全国にいくつか例がありました。
中でも有名なものは日立製作所水戸工場の構内電車(1993年廃止)と、三池鉄道の炭鉱電車(1984年廃止)でしょうか。

特に前者は元東急初代6000系をバッテリーロコがけん引するというスタイルでしたので、セットAはそれを意識した商品といっても過言では無いと思います。
一方、セットBの方も何となく三池鉄道の炭鉱電車を意識しているような気がします(あちらも赤茶色の客車を古典的な電気機関車がけん引していた)。


話は変わりますが、先日水戸方面に行く用事があったので、構内電車の跡地を見てきました。
せっかくの機会なので、廃止から30年近くたった現地の様子をご紹介します。


まずは勝田駅4番線から日立製作所水戸工場がある西口の方を見ます。
写真の中央奥あたりに構内電車用のホームがあったはずです。

勝田駅4番線から見る


駅の自由通路から線路を見下ろします。
いちばん左の線路が専用線のものでしたが、ホテルの敷地に吸い込まれてしまっています。

写真の中央あたりに専用ホームがあったはず


駅を出て、いわき方に1つ目の踏切から勝田駅の方を見ます。
専用線の線路は踏切の手前で剥がされてしまっています。

踏切から勝田駅の方を見る


踏切を過ぎると線路が復活します。

奥に先ほどの踏切が見える


線路の傍は日立グループ関係の駐車場になっています。
専用線は常磐線から離れて左へとカーブしていきます。

ひとつ上の写真と同じ位置から工場方を見る


左へカーブした先で道路を横断しますが、何やら信号のようなものがありました。

明らかに専用線に関するのものが残っている


踏切動作反応灯的なもの(正式名称不明)でしょうか。
撤去されずに残っています。

もう二度と来ることは無い列車を待っている…


ここで一般道を横断します。

交通信号機は踏切と連動していたと思われ…


踏切部分の線路はやはり剥がされてしまっています。
1910番の記憶が正しければ、ここは比較的近年まで残っていた気がします。

アスファルトに線路の跡がくっきり


そして線路は工場の敷地へと入っていきます。

もう二度と開かないかもしれないゲート


工場内にも線路は所々残されており、道路からフェンス越しに見える所もありますが、時間の都合によりここまでで引き返しました。
通報されても嫌ですし…。

30年前まで、バッテリーロコに牽かれた通勤列車や、工場から出場する新製機関車がここを通っていました。
ぜひこの目で見てみたかったものです。

その後、職員のマイカー通勤の増加や踏切の遮断で交通渋滞が激しくなったことを理由に、構内電車は1993年で廃止されました。
水戸工場での鉄道車両の製造も、1993年のEF200形を最後に終了し、この専用線は役目を終えました。


ここを列車が走っているところを見たかった…


話は戻りますが、セットA・Bとも発売直後の売れ行きは好調のようで、特にセットAの方は品切れになっているお店もありました。
セットの内容をそのまま楽しむよりも、東急3000系・6000系を仕立てて楽しむ人も多いのではないのでしょうか。
特に6000系を作るには2セット必要ですし…。


と、いうわけで…。


“何か”


セットAを2セット使用して、“元東急初代6000系みたいな何か”が完成しました。
特に何か改造したわけではなく、塗装もそのままです。
中間車の貫通路は塞がれていますが、細かいことは気にしてはいけません。

富井電鉄6000系(仮)として活躍してもらおうと思います。
富井電鉄初の貫通4両編成で、輸送力の向上に(過剰に)大きく貢献することでしょう。



そして…。


2両のバッテリーロコ


機関車も2両になりました。
使い道は今のところありませんが、入換用スイッチャーとしたり、重連で貨物列車をけん引させても面白そうです。


では、今日はこの辺で…。

こんな感じで、今年も平常運転(異常が無いとは言っていない)で参ります。
何卒よろしくお願い申し上げますm(_ _)m