東洋大学が圧勝で2年ぶり 王座奪還!
   ー往路・復路ともに制して駒澤の学生3冠を阻止



 予定通り!……
 往路優勝のインタビューで東洋大学監督の酒井俊幸は表情を変えることなく、そのように繰り返していた。
 出雲、そして全日本までも駒澤に後れをとった東洋にとって、今回の箱根は崖っぷちだった。心理的にもかなり追い込まれていたにちがいない。戦力的には宿敵・駒澤と遜色ないのだが、2度までも敗れてしまったからである。
 往路に2枚看板の設楽兄弟を投入してきたのは、何が何でも初日にトップを奪いたいというなみなみならぬ決意のあらわれからだったろう。出雲と全日本で先手を奪われ、追っても追っても駒澤の影さえ踏むことができなかった。その教訓から、ともかく初日に先手をとることを考えた。
 そういう積極性がみごとにハマった。1区の田口雅也はトップ日本体育大から21秒差の2位につけると、2区の服部勇馬は日本体育大にかわってトップに立った駒澤と26秒差の2位にくらいつき、3区に配した設楽悠太の区間賞の快走で予定どうりにトップに立ち、2位の駒澤になんと55秒もの差をつけてしまった。
 5区の設楽啓太も、山登りは未知数だったが、期待たがわずの区間賞、かくしてライバル駒澤に59秒先んじたのである。
 初日を終わって、この両チームと3位の早稲田大学との間には、なんと4分以上の差がついてしまった。昨年の覇者・日本体育大学は5区の服部翔大の踏ん張りで4位まで押し上げてきたが、中盤の遅れがひびいて、トップから6:32もの大差がついてしまい、優勝争いは完全に東洋と駒澤にしぼられた感があった。


 往路でトップを奪った東洋陣営にしてみれば酒井監督が言うように、まさに想定内の結果、しかし遅れをとった駒澤にしてみれば、59秒差ならば、まだまだつけいる余地は十分にあるとみていただろう。駒澤に誤算があったわけでもない。東洋のデキがよすぎたのである。
 復路で逆転をもくろむ駒澤、その持ち駒としてエースの窪田忍がひかえていた。窪田を9区に配してきたのである。
 かくして復路の見どころは駒澤の逆転があるかどうか。6区~8区で59秒の差をつめて9区で奪首、それが駒澤のシナリオだった。むろん東洋陣営も復路は楽に行かせてくれないだろうと読み、きびしい戦いを想定していたはずである。
 ところが……。
 出雲、全日本で追っても追ってもとどかなかった東洋だが、逃げにまわると回ると、一転、攻守所をかえてしまった。快調に逃げ足をのばす東洋、駒澤は追っても追っても届かないのである。6区~8区のうち、東洋は7区の服部弾馬、8区の高久龍が連続区間賞、駒澤がもくろんだ9区の決戦までに、なんと3:12もの大差がついてしまったのである。これは駒澤としては想定外だったろう。東洋陣営にしても想定外、しかし、こちらは良い意味での想定外というところ。

 距離にして1㎞以上の大差である。後ろ姿さえみえない。さすがの窪田もどうしようもなかった。東洋との差をおよそ40秒詰めるのがやっとで、区間賞すらも日本体育大の 矢野圭吾に奪われてしまった。
 9区をしのぎきった東洋に、もう敵はいなかった。アンカーの大津顕杜は気分良くタスキをゴールまで運んでいった。そして自身も区間賞の走り、最優秀選手というオマケまでついた。


 終わってみれは東洋と駒澤の差は4分34秒もの差がついていた。10区間のうち5区間で区間賞だから、この結果からみるかぎり圧勝である。


 さてポイントはどこにあったのか。復路6区の山下りだったとみる。
 先にのべたように59秒差ならば駒澤にしてみれば十分にとどく。逆転可能な秒差である。復路のスタート6区で、ほんのわずかでも差が詰まればどうなっていたか。7区以降、東洋大のランナーには心理的な重圧になって焦りがきざしてくる。逆に追う駒澤のランナーたちはモーティべーションがたかまる。だが、ここで東洋の日下佳祐は冷静だった。前半には差を詰められながらも後半は切り替えてペースをあげた。そして中継所では、逆に77秒と差をひろげたのである。日下だけでなく東洋にランナーたちに総じていえることは、前半はセーブして後半にペースをあげる。20㎞という長い距離を走るノーハウをしっかり会得していたのである。
 6区でその差がひらいてしまったという事実が与える心理的な影響が、東洋と駒澤の明暗をわけてしまった。レースの流れを完全に決定づけてしまったという意味で、最優秀選手をあげるとすれば、この日下佳祐であろう。


 往路・復路をみわたして、いちばん見どころがあったのは1区である。なかでも学生長距離界のスーパーエースといわれる早稲田の大迫傑の走りが注目であった。
 予想たがわずハナから大迫がレースをひつぱった。1㎞=2:50ペース、3㎞=8:33は区間新ペースである。3㎞ではやくもタテ長の展開になり、5㎞通過が14:10、10㎞=28:36で先頭集団11人となる。青山学院大の一色恭志、日本体育大・山中秀二、東洋大・田口雅也、駒澤大・中村匠吾、明治大・文元彗、東海大・白吉凌らがくらいついて離れない。早稲田の大迫はおやっと思ったことだろう。こんなはずではない……と。彼らはハイペースでゆくであろう大迫を想定して、しっかりスピード対策を講じていたのである。、
 そして10㎞すぎ、青山学院の一色が大迫の前に出ると、大迫の脚色が怪しくなりはじめてくる。この時点で先頭集団はまだ11人もいた。
 16㎞では先頭集団は山中、中村、文元、田口、大迫の5人となり、レースの主導権は山中と田口の手に落ちてゆく。そして18㎞で東洋の田口がスパート、ここで早稲田の大迫と明示の文元がおいてゆかれたのである。トップ争いは山中、田口、中村にしぼられ、はげしいスパート合戦、そして最後は山中が21㎞すぎで渾身のスパート、そのまま押し切ったのである。
 意外だったのは早稲田・大迫の走りである。10㎞をすぎると失速してしまった。日本長距離界の逸材といわれるスピードランナーだが、どうやら20㎞を走りきる力はなかったようである。大会前もチームからはなれて1人アメリカで練習していたという。理由はよくわからないが、それを許していた早稲田は、いったい、どういうチームなのだろう。駅伝は心を繋ぐ競技といわれる。カンジンカナメの時期にキャプテンでありエースがチームを離れていた。これでは初めから箱根に勝つ気などさらさらなかったとみるべきだろう。
 もっとも大迫自身にしてみれば箱根など眼中にないのかも。箱根だけが競技人生ではないから、そういうこともありうる。かれには別に、われわれがあずかり知らぬ、もっとどデカイ目標があるというのか。そのあたり卒業後の大迫の動向をしかとみきわめたいと思う。


 3冠をのがした駒澤大もタイム的にみてデキが悪かったというわけではない。細かくみれば個々に誤算があったのかもしれないが、大きなブレーキになったランナーもいない。それゆえ今回は東洋のデキがあまりによすぎたとみるべきではないか。


 今回は90回の記念大会で、出場チームは3チーム増えて23チーム、しかし優勝争いを演じたのは優勝した東洋大と駒澤大の2チームのみ、他の21とは別に次元でレースをしていた。
 3位の日本体育大は最終区で3位に浮上して、やっと昨年の覇者としての面目を保った。最後の最後で日本体育大に競り負けて4位となった早稲田大学、大迫の不振、さらに大迫とならぶもう一枚のエースを欠いたが、下級生たちが踏ん張った。4位なら健闘したといえるだろう。


 5位の青山学院大、6位の明治大学も確実に上位校のポジションを固めつつあるようだ。シード権争いは今回も最終10区までもつれにもつれた。7位の日大から、帝京、拓殖、大東文化、ここまでがシード権を獲得したが、11位の法政、12位の中央学院まで3分以内になんと7チームがひしめきあっていた。繰り上げ出発もからんで、観ているほうはどうなっているのか奇々怪々であった。


 今回出場した選手たちの多くは7年後の東京オリンピックをみすえている。大きな目標がめのまえにぶらさがったのである。現在の大学生ならば、年齢的にみて、ちょうどそのころ、競技者としてピークをむかえる。箱根駅伝があるから日本の男子長距離はダメになるといううがった説もある。しかし箱根駅伝を戦うなかで選手たちの意識が高まり、箱駅駅伝が世界と戦える長距離ランナーのインキュベーターになってほしいものである。



◇ 日時 2010年1月2~3日(祝) :午前8時00分 スタート
◇ コース: 東京・読売新聞東京本社前~箱根・芦ノ湖間を往路5区間(108.0Km)、復路5区間(109.9Km)の合計10区間(217.9km)
◇天気:往路 晴れ 気温:6.0度 湿度:60% 風:2m(スタート前)
    :復路 晴れ 気温:0.9度 湿度:70% 風:東2m(午前8時)その後、気温は10度、湿度50%になる。
◇東洋大学(田口雅也、服部勇馬、設楽悠太、今井憲久、設楽啓太、日下佳祐、服部弾馬、高久龍、上村和生、大津顕杜 )
◇公式サイト:http://www.hakone-ekiden.jp/
◇総合成績:http://www.hakone-ekiden.jp/pdf/90_Record_all.pdf
◇写真(EKIDEN News )