駅伝時評web-niijima


 ひょんななりゆきで「楽天オークション」をのぞいたら、たまたま切手になった「新島襄」が出品されているのをみつけた。ほとんど衝動的に最低価格で入札応募したら、競合相手が現れず、そのまますんなり落札となって拍子ぬけしてしまった。


 学生時代のサークルの知人とそんな経緯をメールで語りあっていたら、かれは使用済みの同切手をわざわざ郵送してくれた。かくしてぼくの手もとには、現在、未使用、使用済みと2枚の「新島襄」切手がそろったというわけである。


 同切手は1949年(昭和24)から1952年(昭和26)にかけて発行された「文化人切手」シリーズの一枚である。初回は国民的英雄とたたえられていた野口英世(医学者)で、1949年(昭和24)の文化の日(11/3)に発行されている。


 第2回以降は福沢諭吉(教育者1950 2/3)、夏目漱石(文学者 4/10)、坪内逍遥(文学者 5/23)、9代目市川団十郎(歌舞伎俳優 9/13)、新島襄(教育者 11/22)、狩野芳崖(日本画家 1951 2/27) 内村鑑三(宗教者 3/23)、樋口一葉(作家 4/10) 森鴎外(文学者 7/9)、正岡子規(俳人 9/19)、菱田春草(日本画家 9/21)、西周(哲学者 1952 1/31) 梅謙次郎(法学者 8/25)、木村栄(天文学者 9/26)、新渡戸稲造(教育者 10/16)、寺田寅彦(科学者 11/3)、岡倉天心(画家 11/3)となっている。


 かつて……といっても中学から高校時代にかけてのころ、ぼくも熱心な切手蒐集家のひとりであった。むろん「文化人切手」シリーズの存在はよく承知してはいたが、それほど興味はなく、同シリーズとは縁がなかった。だから「新島襄」は所持していなかった。


 けれども、よくかんがえてみれば新島襄が生涯を賭して設立に情熱をそそいだ同志社を出て、いつしか著作のうえでも新島襄にふかく関わるようになっている。そんな自分がネットオークションで、いまあらためて校祖に遭遇したのも何かの縁というものではないか。ただの偶然でもあるまい。それに261円というのは、こりゃなんだ! そんな心の遍歴があってオークションの入札にのりだしたようである。

 オークションの競合相手がいて、競り合いになったら、行きがかりで、もっと高値の競りになっても対抗していたであろう。(笑)


 切手になった文化人18人がどんな基準で選ばれたのかは知るよしもないが、戦後まもなくのわが日本では、誰もがみとめる代表的な文化人に数えられていたことはまぎれもない事実だろう。


 18人のうちには教育者として福澤諭吉、新渡戸稲造とならんで新島襄が名を連ねている。だが、現在、なぜか新島襄について知る人はすくない。福澤や新渡戸はお札にもなったせいかもしれないが、この二人にくらべると、新島はどうも分がわるいというのが実情である。


 長くなるから詳しくは措くが、理由はいくつかある。後世に残るような著書を残さなかったことも、そのひとつだろう。新島襄はいかにもキリスト者らしく謙虚であった。まちがっても自分を売り込むようなマネはしなかったからなあ……と、思案にふけっていると、ふいに襄のことばがよみがえってきた。


「大人にならんと欲せば、自ら大人と思う勿れ」


 これは襄が徳富蘇峰におくった別れのことばである。自分に叛旗を翻して去って行く弟子にもかかわらず、襄は不肖の弟子に慈愛に満ちた視線をそそいでいたのである。


 2枚の切手をしげしげとみつめながら、いかにも新島襄らしいなあ……と思わずつぶやいている自分がいた。