家相が悪い場合は、そう簡単にどうこうすることができないことも多いと思う


周易を使うのである

物事は百点でなくても良いのであって、理想的ではないけれど、かといって、どうこうしなければならない、とまで告げてくる占示の割合は、一体どれくらいあるだろうか?(そもそも物事にも人間にも百点満点云々と一口にいうが、哲学的にはそれは存在しないはずだ)




理想的な家相ではないけれど、別に物事の核心はそこではないよ、というのはあると思う


方角の利用もそうであり、やはり、周易が要るかもしれないし、この場合も核心はそこでもなさそうな占示はあるだろう

姓名も同様だと思う

但し、姓名は特に当方は経験が長いので、いろいろと思うところはある


が、当方の経験からの考え方を言うと、家運向上につき、一番大事なのは砂庭格霊能者の下での、心身浄化のための地道な修行である


心身浄化≒祖霊の浄化向上≒指導霊との結びつき強化→大難を小難にし、格段に安全で一人の人間として幸福なその後の人生航路と、各人各様の才能発揮をより円滑にする


家(家系)の流れが根本から変わる


心身その他に様々な現象はあるだろうが、根気よく修行する家庭はある日を境に、家、室内の気(波動)も上昇したりする


これが家(家運)が良くなって行く、ということの基礎根本の一つの現れであると思う(家相との絡みで家の気に焦点あて述べた)



ただ、霊縁の有無があり、極めて人口的に限られた世界である


また、宿命の関係はあくまで宿命である


本物の砂庭、或いは、砂庭格霊能者とは、例えば仏教系の霊統なら菩薩格の人物である



天部夜叉神が警備部長の人物が居なければ、会場が危険であるということ





 
 
 
占術でも霊能でも精神方面の学びの組織に入門希望者が現れ、その者を占った場合に、風地観初六を得たとしよう


この場合、純粋に初心者という意味で初交を得る場合も勿論あるだろうが、利欲目的(伏卦風雷益の一つの読み筋)中心やそれのみで来ている場合もあるだろう


素質もないし能力も伸びない、手っ取り早く金にしたいだけのこともあると思う


広告だけが一人前の浮き世の流れ者タイプ


童観で人生終わる形


応比がないので、馴染めずに早く止めてしまう場合とか


初交は海のものとも山のものとも分からぬとか、箸にも棒にもかからない意味がある(先日の需初九も言わばこれでもある。需の世界と無縁ということ→早期解決)


小保方問題でも澤火革初九であったが、革命なんてもんでなく、不思議ちゃんであったこと(これも正応なし)


興味本位だけで来ているとか、初交は若いから、人生経験もないのにそういう世界に入り浸り、依存し、かえって成長できない場合もあるだろう


観が現れること自体は良いと思うが、見極めは必要であろう

そういう団体の一番下には、そういう者がいるものだ


いきなり霊能者になりたいと言って、個人相談するタイプもこれか?




 
 
ある先人が述べていた見解が、風地観の外卦の人物などは、ほとんどこの世の者でない、ということだったと思う(精神世界方面)



その理由の一つが、六三に伏す風山漸が、地道な長い努力の積み重ねと、漸が「山上の大木」であり、目指す所が並々ならず大きい目標となるからだろうと思われた



六三から六四への移行というのは、それだけ大変なことなのだろう



外卦は内卦坤の多くの人々から尊敬を受ける、というのだから、至極当然のことなのだろう



しかし、この方面の人物に六三を得た場合、どの道を選ぶにせよ、地道な努力のもとに、今後は真の幸福を感じられる人生である(観の道を歩んで来て現在六三地点と思われる人物)