わたしは、これまで自分のことが好きだと思っていましたが、ある時に自分は自分がきらいだった、と気が付いた時があります。

 

その時は猛烈に電気が走るほどショックでしたが、それがわかったときには安心感もあったのです。

 

時が流れて、わたしはあまり人にイライラすることも少なくなり、落ち着いてきた矢先でしたが、わたし自身が虐げられて舐められ、バカにされていることが重なったとき、猛烈に怒りが増しているのを自分で理解しました。

 

 

人は、人を敬えない、人を見下す人を見下します。

 

 

わたしは、きっと、そういうタイプの人間だったのでしょう。人を敬えない人は、自分を敬うことができないのですから当然です。わたしは自分を敬うことができず、自分自身をまだ嫌っていたのですから。

 

 

そこで私は思いました。

 

 

わたしを認めさせればいいんだ(わたしに)

 

 

わたしがやろうとしていることは、世の中の人々がお金儲けのために使うこともできることです。

 

しかし、わたしはそういうお金儲けではなく、易の哲学である【人が人たるゆえん】である、天地人が一致する行動を主とします。

 

 

天であるまっすぐで強烈なエネルギーと、地という大地や物質を生み出すエネルギーの間にいる人間は偉大です。

 

そういう人間をわたしができることで協力し合いながら生きる道を模索します。そして、愛を自分にももつために、この自分の持っているものを活かして自分が天地人として生きるため、使おうとしています。

 

 

わたしは、誰かに認められたいのではなく、【自分自身を認めるために】自分が常々思ってきたこと、やろうとしていることを世界に発信します。

 

 

お金はあった方がいいでしょうが、これから先のことを考えるとお金よりもはるかに価値のあるものに投資した方がいい未来しかありません。

 

 

あなたは、自分を認められているでしょうか。

 

 

わたしはまだ、その段階には至っていませんが自分を一歩勇気を出して認めて受け入れた先にある、怒りの裏側にある強烈な自分に対する情熱や愛情を見つけてほしいと思います。

 

 

そして、あまりにも周囲が騒がしくても、自分以外の価値観や概念を超えてしたいこと、やってみたいこと、金にならなそうなことであっても

 

 

「これだ」

 

 

というものがある人には、がんばってほしいと思っています