銀色テントむしの戦国歴史探訪…墨田区「太田道灌供養塔(法恩寺)」 | 軽キャン♪銀色テントむし660

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今週は「長野」!デカ盛り・SL・道の駅!このキャンピングカー「テントウムシ」ですか?いいえ、「テントむし(テントムシ)」、「eK-Camp(ekキャンプ)」です。
家族4人、軽キャンカーで日本全国行脚します♪たまに、車中泊しながらお城と新撰組も巡ります。

近頃になって、戦国時代初期の歴史にも目覚め、地下鉄の1日券を使って巡ることのできる史跡を歩いています。
蒸気機関車デカ盛り道の駅を求めて毎週末、家族旅行しているのにキャンプ歴のない軽自動車キャンピングカーeK-Campテントむし屋根開き(ROTUS(ロータス)RV販売 )」銀色テントむしテントむしオレンジ乗りのnorizoです。

JR総武線などの錦糸町(きんしちょう)駅から北口ロータリーを出て北へ400mほど進み、立志社高校の先の都道315号線を西へ250mほど進むと見えてくる参道が「法恩寺(ほうおんじ)」の入口です。
入口近くには都バスの「太平一丁目停留所」があるのでバスでの訪問も可能です。
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参道は北へ100mほど続きますが、その先にはスカイツリーが大きく見えます。
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この法恩寺の建立に携わったとされる歴史上の人物が、江戸城の築城も手掛けた太田道灌(おおたどうかん)であると言われています。
三門をくぐった右手には、「道灌公記念碑」があり、仙台石に太田道灌の山吹の和歌の物語が浮き彫りにされています。
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本堂右手奥には、法恩寺の境内墓地があり、その正面に建つ五輪塔が太田道灌の供養墓です。
五輪塔形式のこの供養墓は墨田区の記念物に指定されていて、2m以上もあります。
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寺の史料から引用しますが、太田道灌が長禄2年(1458年)に江戸城を築くにあたり、城内鎮護の祈願所として武蔵国平河村(江戸城平川口)に建立開基したのがこの寺の始まりだそうです。
開山当初は本住院と称し、 道灌の跡を継ぎ城主となった嫡子・法恩斎の年忌に際し、孫の太田資高が寺号を法恩寺と改めました。
その後、神田柳原・谷中清水町と移転した後の元禄8年(1695年)に現在地に移りました。

昨年、千葉県の城跡を巡った折に千葉氏や里見氏の戦いの後ろに名が挙がっていたのがこの太田道灌です。

太田道灌(諱は資長(すけなが)は、室町時代後期の武将で武蔵守護代・扇谷上杉(おうぎがやつうえすぎ)家の家宰で、古くは摂津源氏(源満仲の長男・源頼光の系統)の流れを汲んでいます。

室町時代後期に古河公方(こがくぼう)側の有力武将である房総の千葉氏を抑えるため(享徳の乱)、両勢力の境界である当時の利根川下流域に城を築く必要があったことから康正3年(1457年)に江戸城を築城しました。
「道灌」名義の初出は文明6年(1474年)6月の歌合記事で、この頃出家したものと思われます。
江戸城の守護として日枝神社をはじめ、築土神社や平河天満宮など今に残る多くの神社を江戸城周辺に勧請、造営しました。
今も江戸城には道灌濠の名が残り、築城当時の面影をわずかに残しています。
江戸城城主となった道灌は、ここで兵士の鍛錬に勤しみ、城内に弓場を設けて士卒に日々稽古をさせて、怠ける者からは罰金を取りそれを兵たちへの茶代にあてたという言い伝えも残り、勤勉な性格を感じさせます。

きっとズキマル君は興味がなかったと思いますが、この近くの「アニメイト」で見つけた「おそまつさん」グッズを手に入れたことから大喜びで散策に付き合ってくれました。
モノで釣ったわけではないのですが、都内散策の折には別の楽しみがあると知った彼は、今後も歴史探訪の楽しみを覚えたようです(笑)


□太田道灌供養塔(法恩寺)
 TEL:03-3622-8267
 東京都墨田区太平1-26-16
 開園時間 終日
 休園日なし
 駐車場あり


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2016/03/13 13:00 天候:曇り
測定値:未測定(測定器具:エアカウンターS
測定場所:駐車場GL約1000mm(腰高)