蒸気機関車とデカ盛り
JR内房線の八幡宿(やわたじゅく)駅東口から南へ約1キロほど歩いて国道297号線大多喜街道を道なり南東へ2.5キロ程度進み、市原郡本郵便局のある郡本交差点から東の県道21号線に入り500mほどで北に入る路地の先に見えてくるのは「府中日吉神社」です。

府中日吉神社は、江戸時代の棟札に白鳳2年(673年)の創建と記され、滋賀県大津市の日吉大社より勧請された神社で、狛犬やキツネの代わりに猿が守っているのが特徴です。

江戸時代には「山王権現」あるいは「日吉山王権現」と称されており、明治12年(1879年)に「日枝神社」、さらに同27年(1894年)に「府中日吉神社」と改名されて現在に至っています。
古代においては、この地が「府中」と称されていることから上総(かずさ)の国府(こくふ)が置かれた上総の中心地であったとされ、中世にはこの後訪問する能満城(のうまんじょう)の一角に本社を造営したと言われています。

この府中日吉神社から北へ300mほど進んだあたりが旧能満城(のうまんじょう)の本丸があったと言われていますが、山林と畑や民家が広がっており、事前に位置情報をつかんでいないと散策しづらいエリアです。
城郭周辺であったと思われる道路は私道か公道かもわからないので神社にクルマを置かせてもらって歩いてみます。

舗装されてはいるものの、人通りのない細い坂道を上って行くと、民家の入口に朽ち落ちそうな「史跡能満城跡」の表示杭を見つけることが出来ました。

私有地境界としてプラスチック製の黄色いチェーンの張られた奥には主郭の土塁と虎口が見受けられます。
この遺構の造りは「横矢」と言うものだそうで、虎口から郭内に入ろうとする敵を横から狙い撃ちができるような構造になっていて、戦国期の16世紀後半の城郭遺構ではないかと推察されています。

地域の口伝では里見義堯(さとみよしたか(1512~1574年))の家臣・忍民部少輔(しの・みんぶしょうゆ)の居城と伝えられていますが、別説では敵対した千葉(ちば)氏側近の小弓城主・原(はら)氏側の在地領主の城であったともあります。
城 郭の研究を専門とするブログによると、城の選地を考えた場合に台地先端か突出部に築くのが普通であるのを、あまり要害性が高いと思われない低地高台に築か れているのことから、ごく小規模な簡素な城砦で集落の人達が有事の際に逃げ込む「村の城」ではなかったかと推測しているとのことでした。
昨年、150以上の小さな城址を巡ったこともあり、前情報をなくして小城を探すのは難しいことは心得ていましたが、かなり小さな目標に苦労しました。
しかし、戦国中期の遺構は健在で、一緒に歩いてくれたズキマル君もそうした遺構の存在を理解できるようになりつつあります。
日本中には2000を超える城跡があるとのことですから、機会を見ては散策してみたいと思います。
□能満(のうまん)城址
TEL:なし
千葉県市原市能満529(民家入口)
駐車場なし
※民家のため立ち入りはご遠慮ください
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2016/02/20 09:00 天候:晴れ
測定値:未測定(測定器具:エアカウンターS
測定場所:駐車場GL約1000mm(腰高)