蒸気機関車とデカ盛り
![テントむし屋根開き](https://emoji.ameba.jp/img/user/mo/momo-mgr/2614015.gif)
![テントむしオレンジ](https://emoji.ameba.jp/img/user/mo/momo-mgr/2614019.gif)
日本初のカンパニーこと「亀山社中(かめやましゃちゅう)」は、クルマでの訪問が非常に難しい階段の多い坂道の途中に位置します。
長崎電鉄の新大工町停車場から西側のコンビニの先の路地を南へ進み、橋を渡って道なりにお寺の続く路地を進んだら禅林寺と深崇寺の間の階段を東に登って行くと階段を上り切った路地の北側にあります。
その「亀山社中の跡」の門の先は、当時の建物を改築した「長崎市亀山社中記念館」となっています。
![DSCF7105.jpg](https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblog-imgs-88.fc2.com%2Fe%2Fk%2Fc%2Fekcamp%2FDSCF7105s.jpg)
入館料は大人300円子ども150円ですが急な坂道と言う場所柄もあり駐車場は見当たりません。
…と言うかクルマが入ってこられるとも思えませんので少々足腰に自信をつけておく必要があります。
すぐ近くに土日祝日のみ無料で見学できる「亀山社中資料館」の訪問だけでもいいかと思っていたのですが、外にいたスタッフさんに「ホントに坂本龍馬が居たのはここですから絶対寄っておいた方がいいですよ!」と言われ、やっぱり見学しておくことにします。
![DSCF7106.jpg](https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblog-imgs-88.fc2.com%2Fe%2Fk%2Fc%2Fekcamp%2FDSCF7106s.jpg)
幕 末近い天保6年(1835年)に土佐国高知城下(現在の高知県高知市)に生まれた坂本龍馬は、若くして江戸で剣術や砲術の修業をしますが、その後は土佐を 脱藩すると紆余曲折を経て江戸城の無血開城を手掛けることとなる幕臣・勝海舟(かつかいしゅう)の門人となり、脱藩者の同志と共に神戸海軍操練所に学びま した。
しかし元治元年(1864年)に操練所が閉鎖、脱藩者であった龍馬と同志たちは薩摩藩に保護され長崎にやってきます。
この際に日本最初の商社(カンパニー)である「亀山社中」と言う団体をここに結成しました。
「亀山」は元々はここが亀山焼という陶器を焼いていた窯元であったことからつけられ、仲間・結社を意味する「社中」をあわせてそう名付けたそうです。
亀山社中は、慶応2年(1866年)に長州藩のために薩摩藩名義で大量の小銃や蒸気船ユニオン号(桜島丸・乙丑丸)の購入・運搬に成功します。
![DSCF7107_20160207200507f49.jpg](https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblog-imgs-88.fc2.com%2Fe%2Fk%2Fc%2Fekcamp%2FDSCF7107_20160207200507f49s.jpg)
蒸気船や新型様式銃の購入・運搬は長州藩と薩摩藩を結び付けることとなり、亀山社中は徳川幕府を討幕し明治政府を確立するために奔走した「海援隊」へと発展していきます。
慶応3年(1867年)に土佐藩重役・後藤象二郎(ごとうしょうじろう)や薩摩藩の西郷隆盛(さいごうたかもり)らの協力により、龍馬の脱藩罪が解かれ、土佐藩を守る組織との位置付けを持った「海援隊」が設立されます。
海援隊の入隊資格は脱藩者でも海外開拓の志を持った者であれば入隊が可能で、隊の目的は運輸、射利(※)、開拓、投資、そして土佐藩の応援でした。
※射利(利益追求)というのは、利益を求め経営を行うという、当時としては画期的なものです。
海援隊の活動期間はわずか1年(慶応4年(1868年)閏4月に解散)と短いものでしたが、維新後に活躍した陸奥宗光(むつむねみつ/外務大臣)、中島信行(なかじまのぶゆき/衆議院議長)、石田英吉(いしだえいきち/長崎県令)などの多くの人材を生み出しています。
また、長崎土佐商会主任として海援隊との交渉にあたった岩崎弥太郎(いわさきやたろう)は、維新後に三菱をおこし日本経済の発展に寄与しました。
「この柱は坂本龍馬が背をもたれ思案したとも言われる柱ですよ。」と言われ、ズキマル君に模擬刀を持たせて座らせてみると、何とも風格のない体育座りをしてしまったため、周りのお客さんからも大いに笑われてしまい、かなりヘコんでいました。
![DSCF7108.jpg](https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fblog-imgs-88.fc2.com%2Fe%2Fk%2Fc%2Fekcamp%2FDSCF7108s.jpg)
亀山社中解散後には何世代も別の家族が住んだ住宅でしたが、それを買い戻し、現在の資料館としてオープンしたそうです。
今回のレビューではほとんど展示内容については触れないでみましたが、館内には当時彼らが密談などに使ったとされる2階の倉庫も見学することが出来て見ごたえがあります。
足腰の悪い方や、小さなお子さんには訪問が難しいかもしれませんが、ちょっと幕末史に興味を持ったら、一度は訪問しておいて間違いのない、ファン垂涎の龍馬スポットの一つです。
□長崎市亀山社中記念館
長崎県長崎市伊良林2-7-24
電番号095-823-3400
営業時間 9:00-17:00
定休日:無休
入館料:大人300円子ども150円
駐車場なし
より大きな地図で >銀色テントむしの家族でおでかけ
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2016/12/27 10:00 天候:晴れ
測定値:未測定(測定器具:エアカウンターS
測定場所:駐車場GL約1000mm(腰高)