蒸気機関車とデカ盛りと道の駅を求めて毎週末、家族旅行しているのにキャンプ歴のない軽自動車キャンピングカー「eK-Camp(ROTUS(ロータス)RV販売 )」銀色テントむし乗りのnorizoです。
首都高速6号線向島線を西に隅田川を見ながら走っていると、バカでかい団地群があるのですが、団地マニアには有名な「俗称:白髭防災団地(白髭東アパート)」が見えます。
この防災団地の一角に幕末の英傑「榎本武揚(えのもとたけあき)」の像が建っていると聞き探してみました。
ネット上には「梅若公園」や住所が書いてあるのですが、知らずに訪問するとなかなか見つけにくい場所です。
墨堤(ぼくてい)通りを東白髭アパート2号棟から順に北に向かって歩いていくと、水神保育園の先、9号棟あたりにやっと「榎本武揚(えのもとたけあき)」像を見つけることが出来ました。
この像は1913年(大正2年)5月に木母寺の旧境内だった現在地にに建てられました。
高さ約7メートル(台座含む)もの銅像は、大隈重信(おおくましげのぶ)や渋沢栄一(しぶさわえいいち)など政財界の協力のもとに建立されました。
原型は藤田文蔵(ふじたぶんぞう)などによってデザインされています。
藤田文蔵は洋風彫刻界の先覚者で、陸奥宗光(むつむねみつ)や井伊直弼像(いいなおすけ)などの像もデザインしています。
幕末の榎本は留学後に幕府海軍軍艦頭並を任命され、大政奉還後の1868年(慶応4年)には幕府軍の海軍副総裁となりました。
その後、新選組の土方歳三など新政府軍に反発する各地の多くの武士たちを率いて戦います。
最後は函館の五稜郭を中心に戦いますが、圧倒する新政府軍の戦力に抵抗できず降伏しました。
本来は死刑になるはずでしたが、世界共通の海洋事故判断基準ともなる「万国海律全書」に詳しく、死なせるには惜しいとの事から投獄後、申請日本政府の中核として活躍しました。
晩年は向島に住んだことから、この地に銅像が立てられたそうです。
戊辰戦争末期の函館戦争では新選組の土方歳三(ひじかたとしぞう)らとともに戦ったこともあり、像の後ろには「誠」の銘が刻まれた碑が建っています。
相手を非難して徹底的に排除することは簡単ですが、相手の「正義」も理解し取り入れて未来を考えた当時の日本人の美しいかんがえ方に頭が下がります。
銅像は南を向いていますが、目線のやや左手には日本の象徴ともいえるスカイツリーが見えています。
この像からおよそ1.5キロ、東向島(ひがしむこうじま)にある向島百花園(むこうじまひゃっかえん)は、晩年榎本が好んで通ったと言われる場所です。
この近くにはモカさんやズキマル君が生まれた病院があるため、今回はズキマル君と共にそのあたりも歩いて散策を楽しみました。
開園時間前だったので入場は出来ませんでしたので、また機会を見て訪問してみたいと思います。
墨田区を代表する幕末の偉人は、今日も日本の行く末を見据えていることでしょう。
□榎本武揚像
東京都墨田区堤通2-6-10
※白髭東アパート9号棟前・水神保育園北
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2014/02/22 08:30 天候:晴れ
測定値:未測定(測定器具:エアカウンターS)
測定場所:公園内GL約1000mm(腰高)
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