名城100選スタンプラリー・42箇所目「岡山城」 | 軽キャン♪銀色テントむし660

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今週は「長野」!デカ盛り・SL・道の駅!このキャンピングカー「テントウムシ」ですか?いいえ、「テントむし(テントムシ)」、「eK-Camp(ekキャンプ)」です。
家族4人、軽キャンカーで日本全国行脚します♪たまに、車中泊しながらお城と新撰組も巡ります。

ウチで子ども達と「戦国BASARA3宴」と言うゲームをやっているとズキマル君によく似た顔の武将が出てきます。
日本100名城スタンプラリーは景品はありませんが、始めると中毒のように日本全国を巡りたくなります。
何かと理由をつけて家族を道連れにしています(笑)
蒸気機関車デカ盛り道の駅を求めて毎週末、家族旅行しているのにキャンプ歴のない軽自動車キャンピングカーeK-Campテントむし屋根開き(ROTUS(ロータス)RV販売 )」銀色テントむしテントむしオレンジ乗りのnorizoです。

皆さんは「日本100名城公式ガイドブック」と言うのがあるのをご存知ですか?
財団法人「日本城郭協会」が選定した100の城や城跡を巡る際に、スタンプブックにスタンプを押していくと言うものです。
このスタンプブックは有料でしかも景品がありません(笑)
しかし、どうせ城巡りが趣味なのでせっかくならやってみようと思います。

参加するためには2007年5月発行の「日本100名城公式ガイドブック」を手に入れなければなりません。
お城で売っていない場合も多いので事前に入手しておく必要があります。
norizoは楽天で入手しました。
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価格1,575円(税込、送料別)


※2012年4月に発売された「日本100名城に行こう(学研)」なら完全制覇すると、スタンプ帳に何番目の登録完了者かを記載してもらえると共に、日本城郭協会ホームページに達成者の名前を載せてもらえるそうです。
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ガイドブックと綴じ込み付録のスタンプブックを切り離したら、それを持って「銀色テントむしで100名城巡り」に出発です。
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戦国BASARA3宴」に出てくるズキマル君によく似た雰囲気の武将は「小早川秀秋」。
関が原の戦いで勝敗を分けた武将で、岡山城の城主だった人です。
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そんな理由・・・と言うわけではありませんが、岡山の名城「岡山城(おかやまじょう)」にやってきました。
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駐車場は城の北側の後楽園のところに1時間100円のものがあるので、後楽園と岡山城のセット券(大人560円子ども260円)で入場してみます。
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岡山後楽園は金沢兼六園、水戸偕楽園と並ぶ日本三名園のひとつです。
園内に鶴がいるのを見つけ、子どもたちは釘付けです。
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整備された大きな庭園は三名園にふさわしい見事な庭園です。
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南門から月見橋を抜ければ黒く美しい岡山城が聳え立っています。
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「廊下門(ろうかもん)」をくぐって上ってみると入口がありますが・・・閉まっています。
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重要文化財の「月見櫓(つきみやぐら)」は築城当時を思わせる貴重な建物です。
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また、月見櫓の脇には城郭には珍しい食料保存庫と考えられる「穴蔵(あなぐら)」があります。
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平成5年の発掘調査で見つかった角のとがった石垣は全国的にも珍しいそうです。
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天守閣は6階構造のコンクリート製で中は資料館になっています。
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天守閣から眺める町並みと金の鯱が素晴らしい♪
子どもたちもここからの風景に大満足できたようです。
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1階の入口で声をかけて100名城スタンプをお借りします。
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1時間くらいで見終えるかと思いましたが、後楽園まで含めると3時間くらいは必要になります。
ホントは岡山県立博物館も見たかったんですが、時間が足りませんでしたorz
次回訪問するときには丸1日かけて庭園や博物館も楽しんでおきたい名城です。


□岡山城(おかやまじょう)第70番
 訪問先名称:岡山城
 TEL:086-225-2096
 住所:岡山県岡山市丸の内2-3-1
 開館時間:8:00-17:00(夏季延長)
 休館日:12/29~31
 入場料:大人400円子ども140円
 駐車場:後楽園駐車場100円/1h
 通称:烏城、金烏城
 主な城主:宇喜多氏、小早川氏、池田氏
 スタンプ設置場所:岡山城天守閣入口


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みどころ
月見櫓 - 国の重要文化財、元和・寛永年間(1615-1632年)築・現存
天守 - 外観復元
不明門 - 復元
廊下門 - 復元
六十一雁木上門 - 復元
旧天守礎石 - 移設

ワンポイント
戦国時代
慶 長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで西軍の主力となった宇喜多秀家は八丈島に流刑となり、宇喜多家は改易となった。代わって小早川秀秋が備前・美作52 万石の領主として入城した。秀秋は本丸中の段を拡幅し、三之丸の外側に15町余の外堀を掘り三之外曲輪の整備をして城下町の拡大を行った。この外堀工事に 農民だけでなく武士も使役し20日で完成したため、「廿日堀、二十日堀(はつかぼり)」と呼ばれている。[9]慶長六年には、中の段南隅に沼城天守を移築 したとされ、これは大納戸櫓と呼ばれ、岡山城最大の櫓で二層の大入母屋造りの上に望楼を乗せた形式の三層四階の櫓であった。[10]秀秋は2年後の慶長7 年(1602年)10月に岡山で急死し、嗣子がなく小早川家は断絶した。

明治時代以降
明治2年(1869年)の版籍奉還により 藩主・池田章政は岡山藩知事に任ぜられ、岡山城は藩の府城たる役割を終えて兵部省管轄、つまり存城となった。明治6年(1873年)の廃城令により順次建 物の取り壊し・堀の埋め立てが行われていき、明治15年(1882年)頃までには、天守・月見櫓・西之丸西手櫓・石山門を残すのみとなった。明治23年 (1890年)、旧藩主池田章政に払い下げられた後、池田家は岡山県に提供し、明治29年(1896年)には本丸趾に県立岡山中学校が建てられた。随所に あった堀の埋め立ては何度かに分けて行われた。こうして昭和初期頃までには城跡と見受けられるのは本丸を残すのみとなり、五重の濠に囲まれた巨大な城郭は 市街地へと姿を変えた。
※ウィキペディアより

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2012/12/23 15:00 天候:晴れ  
測定値:0.05μSv(測定器具:エアカウンターS) 測定場所:駐車場GL約1000mm(腰高)