スタンプラリーを見かけるとついつい参加してみたくなりますが、景品の有無だけではなく、「好きなこと」かどうかにかかわっています。
蒸気機関車とデカ盛り、そして幕末と名城を求めて毎週末、家族旅行しているのにキャンプ歴のない軽自動車キャンピングカー「eK-Camp
皆さんは「日本の100名城スタンプラリー」と言うのがあるのをご存知ですか?
財団法人「日本城郭協会」が選定した100の城や城跡を巡る際に、スタンプブックにスタンプを押していくと言うものです。
このスタンプブックは有料でしかも景品がありません(笑)
しかし、どうせ城巡りが趣味なのでせっかくならやってみようと思います。
参加するためには2007年5月発行の「日本100名城公式ガイドブック」を手に入れなければなりません。
お城で売っていない場合も多いので事前に入手しておく必要があります。
norizoは楽天で入手しました。
【送料無料】日本100名城公式ガイドブック
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今回は伊達政宗の故郷、仙台にやってきました。
巡るお城はもちろん「仙台城(青葉城)」です。
しかし、予想以上に東日本大震災の影響が大きかったことを改めて感じます。
仙台市博物館入り口近くの石垣も崩壊しています。
胸像も意外と大きかったので少々ビックリしました。
また、公園内も立ち入り禁止エリアが多く、今も続く余震と合わせて、復興の難しさを改めて感じます。
しかし、ズキマル君は身長が足りなかったため、裏ではヨメさんが中腰で必死にズキマル君を支えての撮影となりました。
これは仙台市と仙台城を盛り上げるために結成された「伊達武将隊」の皆さんです。
お忙しいでしょうに笑顔で快く撮影に応じてくれるのが嬉しくなります♪
ここは仙台城の資料を展示する中で唯一無料で楽しめる展示スペースです。
しかし、日曜日ともなるとスタッフの男性も、観光客のために資料説明を行っています。
タイミングが良かったのか悪かったのか…
30分ほど説明会を聞いてからのスタンプとなりました。
そう言えば「戦国BASARA」のタイトルロゴの後ろには黄色く家紋が描かれているんですが「伊達家」の家紋だったんですねぇ。
検分館の解説の中にはこうした伊達家やそれに付随する家紋の歴史について教えてもらえるので是非とも聞いてみて下さい。
まだまだ完全復旧には時間がかかりそうですが、エネルギッシュに頑張っている仙台城を支える皆さんに感激できる1日でした。
改めて「がんばれ宮城県」などとありきたりの事を思いつつ、仙台城を後にしました。
深すぎて調べきれないので「銀色テントむし」では、歴史分野では「幕末」にスポットを当てて旅を楽しみます。
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幕末史
戊辰戦争の際は、奥羽越列藩同盟盟主として最後まで新政府に抵抗するも、戦火に見舞われることはなかった。
しかし、現在残っ ている当時の建物は一つもない。大半は明治以降に取り壊されている。
現在往時をしのばせる唯一の建造物として仙台城址交差点に「大手門隅櫓(すみやぐら)」がある。
隅櫓は大手門と共に戦前は国宝に指定されていたが、1945(昭和20)年7月10日の仙台大空襲 の際に焼失している。
現在の隅櫓は1967(昭和42)年に民間の寄付によって復元されたものである。
※ウィキペディアより抜粋
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□仙台城(せんだいじょう)第8番
TEL:022-214-8544(仙台城史跡調査室)
仙台市青葉区川内1-11(仙台城見聞館)
スタンプ設置場所:仙台城見聞館
営業時間 9:00-17:00
休館日なし
駐車場:あり(有料)
より大きな地図で 日本100名城 を表示
ワンポイント
戦国史
伊達政宗の叔父でもある城主国分盛重が政宗と対立して出奔すると、千代城は廃城となった。
政宗は、関ヶ原の戦いの後、徳川家康の許しを得て千代に居城を移すことにした。
1601年1月28日(慶長5年12月24日)に青葉山に登って縄張りを始め、地名を仙台と改めた。
彼が築いた仙台城は、本丸と西の丸からなる山城であり、天守台はあるが天守は持たなかった。
これらの点で時代の流行に背を向けたが、結果として仙台城は、「日本の最も勝れ、又最も堅固なるものの一つ」と言わしめるほど、同時代に比類ない堅城となった。
しかし、世が泰平となると、山上と麓の往来は不便であったため、伊達忠宗が1637年(寛永14年)に二の丸造営に着手し、翌年完成させた。
本丸と同じく広瀬川の内側にあるが、土地は平坦な場所である。伊達家の当主はここに居住し、政務もここで執られた。
時期は不明だが、これと前後して大手門脇、青葉山の麓に三の丸が作られた。これ以降、仙台城は平山城となった。
江戸時代を通じて、仙台城は火災や地震により何度か建物や石垣の一部を失い、その都度再建された。
戊辰戦争でも仙台が戦場になることはなかったため、仙台城は創建以来一度も攻撃を受けずに要塞としての役目を終えた。
※ウィキペディアより








