名城100選スタンプラリー・21箇所目「若松城」 | 軽キャン♪銀色テントむし660

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今週は「長野」!デカ盛り・SL・道の駅!このキャンピングカー「テントウムシ」ですか?いいえ、「テントむし(テントムシ)」、「eK-Camp(ekキャンプ)」です。
家族4人、軽キャンカーで日本全国行脚します♪たまに、車中泊しながらお城と新撰組も巡ります。

震災から1年、国の行く末は定まらないままですが、東北の元気は増すばかりに感じます。
ホントは「東北に元気を分けなければ」と思いながら、メディアでも東北に元気付けられるばかりです。
スタンプラリーを見かけるとついつい参加してみたくなりますが、景品の有無だけではなく、「好きなこと」かどうかにかかわっています。
蒸気機関車とデカ盛り、そして幕末と名城を求めて毎週末、家族旅行しているのにキャンプ歴のない軽自動車キャンピングカー「eK-Camp  テントむし屋根開き(ロータスRV販売  )」銀色テントむし  テントむしオレンジ乗りのnorizoです。

皆さんは「日本の100名城スタンプラリー」と言うのがあるのをご存知ですか?
財団法人「日本城郭協会」が選定した100の城や城跡を巡る際に、スタンプブックにスタンプを押していくと言うものです。
このスタンプブックは有料でしかも景品がありません(笑)
しかし、どうせ城巡りが趣味なのでせっかくならやってみようと思います。

参加するためには2007年5月発行の「日本100名城公式ガイドブック」を手に入れなければなりません。
お城で売っていない場合も多いので事前に入手しておく必要があります。
norizoは楽天で入手しました。
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価格1,575円(税込、送料別)

ガイドブックの綴じ込み付録のスタンプブックを切り離したら、それを持って「銀色テントむしで城巡り」に出発です。

銀色テントむし660


久しぶりにやって来たのは福島県会津若松市です。
会津若松市の中心にある「若松城」が今回の城攻めスポットです。

今回は三の丸側の入り口から雪の中をのんびりと歩きます。


三の丸は若松城(鶴ヶ城)の南側に位置し、高く積まれた石垣の間の道を抜けて進むことになります。
堀に囲まれた敷地内は「鶴ヶ城公園」として地元の方からも親しまれている場所で、雪が降っていますが犬の散歩やご夫婦連れ立ってのウォーキングをされている方がみられます。


しばらく歩くと天守閣に到着します。
名城といえば、桜の頃の写真が多いんですが、雪景色にそびえる「白い城」もステキです。


鉄製の外階段を登って城内に入ると陣羽織姿のオジさんが出迎えてくれます。
ここは「走長屋(はしりながや)」でギャラリー兼お土産屋さんとなっています。
左手には走長屋が続き、右手の階段を登ると鶴ヶ城に登城できます。


鶴ヶ城は五層構造の鉄筋コンクリート製の城です。
中は展示館となっており、2階・4階・5階は撮影可能です。
特に2階には羽織ってお姫様の気分を楽しめる着物や、重量を感じることの出来る鉄砲など手にとって理解できるグッズが揃っています。


5階の天守閣から外を眺めると…
雪景色の素晴らしい町並みが広がっていました。


スタンプはモギリで声をかければ貸してもらえます。


せっかくなので左手にある走長屋も見学してみます。
スゴイ!
明治時代に取り壊されてしまったものを、平成13年に再建したそうです。

こちらは、天守閣の構造と違ってかなり忠実に再現されているようです。
こっちも見なくちゃ損してしまう気分になりますね♪


そうそう、会津訪問の際には「まるとく会津」をゲットしてから回ることをオススメします。

コレがあれば鶴ヶ城入場も1割引。
主要観光施設や情報館などで配布されていますので、必ずゲットしましょう♪

ネットからでも割引券(ここからゲット)を手に入れられます。
え?
norizoですか?
気づかずに後で見つけてガッカリしました(笑)
見ていませんが事前に調べる際にはケータイサイトが便利みたいです。

※あいLove会津のケータイサイトのはず。

幕末史に大きな影響を与えた会津藩を十分に堪能できる名スポットです。


深すぎて調べきれないので「銀色テントむし」では、歴史分野では「幕末」にスポットを当てて旅を楽しみます。
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幕末史
1643年(寛永20年)、加藤明成は改易され、出羽国山形より3代将軍徳川家光の庶弟である保科正之が23万石で入封。以後、明治維新まで会津松平家(保科氏から改名)の居城となった。
1868 年(慶応4年)戊辰戦争の際には会津戦争にて、会津勢の立て篭もる若松城は1か月の間持ちこたえ、板垣退助勢に、薩摩の援軍の助けをかりても遂に城は落ち なかったが、その後開城された。戦後、天守を含む多くの建造物の傷みは激しく、その後も放置されたまま破却を迎えている。
1868年(明治元年9月)に開城すると新政府軍の手に渡され、翌年から兵部省の所管となり、後に仙台鎮台が管理した。1869年(明治2年)若松県庁が本丸内の建物に置かれたため、若松県が管理を委任されていた。
1873年(明治6年)1月、明治政府により陸軍省の財産に決定された。
同年12月には若松県権令沢簡徳から政府に城郭建造物の取壊しが建言された。
1874年(明治7年)1月には、天守をはじめとする建造物は総て解体された。
本丸にあった櫓の一つである「御三階」は上記建言以前の1870年(明治3年)、阿弥陀寺(会津若松市七日町)に移築され、現存している。
本丸の大書院の唐破風の表玄関は、御三階と共に阿弥陀寺に移築され、御三階の玄関に利用されている。
※ウィキペディアより
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□若松城(わかまつじょう)第12番
 TEL:0242-27-4005
 福島県会津若松市追手町1-1
 スタンプ設置場所:天守内
 入場料:大人500円子ども150円
 営業時間8:30-17:00
 休館日:なし
 駐車場:有料
 通称・別名:鶴ヶ城、会津若松城、黒川城
 主な城主:蘆名氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、松平氏・保科氏


より大きな地図で 日本100名城 を表示


※1990年(平成2年)、「鶴ヶ城公園」として日本さくら名所100選に選定された。

戦国史
1589年(天正17年)、蘆名氏と連年戦いを繰り返していた伊達政宗は豊臣秀吉の制止を無視して蘆名義広を攻め、蘆名氏を滅ぼし黒川城を手にした。しかし、政宗は1590年(天正18年)に秀吉に臣従し、会津を召し上げられた。



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2012/03/10 11:00