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ライトワーカー&龍の魔法使い🧙🐉
愛知県のぽこです。
ぽこのプロフィールです
和歌山満喫旅続きです。
花窟神社から玉置神社へ行くのと同じくらいで、熊野本宮大社へ行けるなんて知らなかった
熊野三山とは?
熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社を合わせて熊野三山といいます。
熊野の神々は自然信仰に根ざしていましたが、奈良~平安時代にかけて熊野は仏教・密教・修験道の聖地ともなり、神=仏であるという考え方が広まりました。
その影響を受けた三山は結びつきを深め、同じ12柱の神々(=仏たち)をおまつりするようになります。熊野三山の神秘性はますます高まり、平安時代の末には「浄土への入り口」として多くの皇族や貴族がお参りするようになりました。浄土へお参りし、帰ってくるということは、死と再生を意味します。そのため熊野三山は「よみがえりの聖地」として、今なお多くの人々の信仰を集めています。
当社の主祭神は、家津美御子大神(スサノオノミコト)です。
歴史を遡ると、古代本宮の地に神が降臨したと伝えられています。
三本の川の中州にあたる聖地、大斎原に社殿が建てられたのは、崇神天皇65年(紀元前33年)のことでした。奈良時代には仏教を取り入れ、神=仏としておまつりするようになります。
平安時代になると、皇族・貴族の間に熊野信仰が広まり、京都から熊野古道を通って上皇や女院の一行が何度も参拝に訪れました。
室町時代には、武士や庶民の間にも熊野信仰が広まっていました。男女や身分を問わず、全ての人を受け入れる懐の深さから、大勢の人が絶え間なく参拝に訪れる様子は「蟻の熊野詣」と例えられるほどでした。
明治22年の大洪水により、大斎原は大きな被害を受けました。当時は能舞台などもあり、今の8倍の規模を誇っていましたが、明治24年に上四社が現在地へ移されました。
今、大斎原には中四社、下四社、境内摂末社の神々がおまつりされています。
平成23年9月、紀伊半島大水害により、当社は再び大斎原や瑞鳳殿などに大きな被害を受けました。しかし、平成26年には瑞鳳殿が再建されるなど以前にも増した復興を遂げ、現在に至ります。
熊野本宮大社HPよりコピペ
八咫烏さんは3本足があるとは知らなかった
なんにも知らずこの奥で写真を撮ってしまったのですが、中では撮影禁止でした
奥には
本宮 素盞嗚尊
若宮 天照大神
結宮 夫須美大神、速玉大神
のお社があったのですが
とても凛とした厳かなエネルギーでした
撮影禁止なのも納得できるくらい。
お参り以外は何もしないのが合っている感じの場所でした。
そして、お社の屋根が出雲大社の造りと同じ
しばらく見惚れていました
その後は大斎原に行きたくて
グーグルマップをセットして数分で着くと表示されたのでそのまま経路へ進みました。
途中
「田辺 龍神」
って小さな看板を何回か見つけたのです
え?なんだろう⁉️ 行ってみたい❣
でも、大斎原が先だなぁ…と思いながら走っていたのですが
写真で見た大斎原は広い場所に建っていますが
どんどん山の中を走らされます
あれ? またもやライトワーカーナビになってる⁉️
到着したのが
ただのキャンプ場🏕
あまりにがっくりして
大斎原行くのを諦めてしまいました
そのまま田辺龍神を目指そうか迷いましたが
調べてみたら2時間かかるようでした
思い出したら、高野山の辺りに龍神村ってあるようなのでそのことかな、と思いました。
ホテルのチェックインもあるし
次男のお嫁ちゃんのご両親にご挨拶に伺う約束をしていたので
田辺龍神は諦めてホテルのある和歌山串本を目指しました
続く。
ぽこ