
冒頭の『鬱積電車』には、幼い頃に感じた社会の息苦しさと、サラリーマンたちの哀愁が凝縮されている。
東野圭吾さんといえば、綿密な構成の本格ミステリーで知られるが、1998年に刊行された短編集『怪笑小説』は、そのイメージを軽やかに裏切ってくれる。
どこかB級的なユーモアと毒が共存し、人間の“意地悪な部分”を皮肉たっぷりに描いている。
だが、そこに流れるのは単なるブラックユーモアではない。むしろ、現代社会に生きる人々の悲哀と矛盾を、笑いの仮面で包み込んだ温度を感じることができる。
登場人物たちは、誰もが少しずつ“ズレ”を抱えて生きている。うまくいかない現実、認めたくない欲望。
それらを巧みに誇張し、滑稽に見せることで、東野圭吾さんは読者に「人間らしさとは何か」を問いかけているようだ。
笑いながらも、心のどこかにチクリと刺さる。そんな読後感がこの短編集の魅力である。
特に初期の作品に通じる、生々しい“生活感”と“人間臭さ”がこの一冊にはある。
完璧ではない人間たちの物語が、どこか愛おしい。読み進めるたびに、東野圭吾という作家の幅広さと、時代を超えて共感できる洞察力に驚かされる。
これから先、他の短編でどんな笑いと皮肉が待っているのか──その先をめくるのが楽しみになってきた。
