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東野圭吾の長編小説『片想い』(2004年刊)を、いよいよ読み終えようとしている。


文庫本全622ページという超大作。読み応えというより、「背負わされる」感覚に近い重厚な物語だ。


物語の中心にいるのは、大学時代のアメリカンフットボール部の仲間たち。かつて同じ時間を共有した彼らが、ある事件をきっかけに再び交錯していく。


その核にあるのが、性同一性障害というテーマだ。今でこそ社会的認知は広がっているが、2004年当時としてはかなり踏み込んだ題材だったはずだ。


  東野圭吾作品といえば、巧妙なトリックやどんでん返しを期待する読者も多い。


しかし『片想い』は、そうしたミステリー的快感とは少し異なる。むしろ人間の内面、葛藤、孤独、そして「理解されない苦しみ」を丹念に描く、ダークな社会派小説と言えるだろう。


正直に言えば、読み進めるのが楽しい作品ではない。結末が楽しみ、という感覚も薄い。それでもページをめくる手が止まらなくなるのは、「人はどこまで他者を理解できるのか」という問いが、読者自身に突きつけられるからだろう。


  Amazonプライム・ビデオでドラマ版も途中まで鑑賞してみた。というより重すぎて何度も途中で止めた。


映像も決して明るい作品ではないが、原作の世界観を丁寧に再現していた。

 

原作を読みながらドラマを並行して観ることで、登場人物の感情の機微がより立体的に浮かび上がっていった。


万人受けする作品ではないだろう。しかし、だからこそ読む価値がある。自分の周囲にはいないかもしれない人々の人生を疑似体験すること。それこそが読書の醍醐味だ。


  重く、暗く、簡単に希望を提示しない物語。それでも『片想い』は、読む者の心に静かに問いを残す。


結末を「楽しみにしない」まま、あえて想像を巡らせながら読み進める。いや、少し立ち止まって想像してみる。

――そんな体験も、たまには悪くない。


重層感漂う作品の制作者が。WOWOWというのも納得した、そんな作品だった。