#アントニオ猪木はパイオニアだ。#プロレスの王道を歩んだ#ジャイアント馬場・全日本プロレスと、猪木率いる#新日本プロレスの戦いでは常に劣勢に立たされていた。アメリカとのパイプも深かった馬場は、有名外国人の招聘も上手くいき、団体は活気だっていた。「#キングオブスポーツ」を掲げる#新日本プロレスは、#ストロングスタイルでの試合が中心で、有名な外国人レスラーも少なく地味だった。
#起死回生を狙い、当時ボクシング世界ヘビー級チャンピオンだった「モハメドアリ」が東洋のチャレンジャーを探していた。それを聞きつけた猪木は全世界に名を馳せるチャンスだと考え、異種格闘技での対戦をぶち上げた。プロレスは世界最強、#キングオブスポーツだと自負していた猪木はアリとの真剣勝負を試合当日まで画策した、
エキジビションの試合だと考えていたアリは、真剣勝負に持ち込まれないよう、がんじがらめのルールにして、ファーストコンタクトで、有効な技が寝てからのキックしか可能でなかったので、そのキックに終始して、寝技に持ち込む作戦に出た。結果的に膠着状態が続き、当時は大凡戦と批判されていたが、のちの「#UWF」ブームから格闘技プロレス、プライド、アメリカUFCへとつながっていく礎の試合となった。
#異種格闘技戦で勝機を見出したアントニオ猪木は、柔道王者、キックボクシング王者、空手王者など他流試合をビックマッチで開催して、世間の注目を浴びるようになっていった。その後は、#初代タイガーマスク、#藤波辰爾vs#長州力との名勝負数え歌、アントニオ猪木vsハルクホーガンなど全盛期の活況を見せていて、勢いを増していった。
猪木が、クーデターの打開策で作った「UWF」が新しい芽吹きを咲かすとは夢にも思わなかっただろう。「UWF」へ派遣されていた前田日明は元々空手出身で、格闘技プロレス志向だった。ロープに振られて帰ってくるスタイルに違和感を感じて、真剣勝負をするスタイルを追求することになる。
「UWF」は前田日明、高田延彦、藤原喜明、山崎一夫が参加したあたりから方向性が定まり、キック、関節技を中心とした試合に転換。新日本プロレスの試合に飽きていた一部ファンは真剣勝負に近いスタイルに熱狂することになる。一度経営難になり、新日本プロレスに合流して対抗戦をして、ロープの反動を利用しないUWFスタイルが主流となり盛り上がっていった。
自己のスタイルを曲げない前田は、新日本プロレスにカムバックした長州力に顔面キックをしたことにより、永久追放となり、第二次UWFが発足して一台ムーブメントを巻き起こす。
一方のジャイアント馬場率いる全日本プロレスは、天龍源一郎率いる天龍革命、その後は三沢、小橋、川田、田上の4天王プロレスが壮絶な戦いを日々繰り広げ、人気を取り戻す。全日本プロレスは王道だが、痛みが伝わるバチバチのプロレスが伝わってきて迫力があった。
第二次UWFは、選手とフロント間で確執が生まれ、解散。前田日明率いるリングス、高田延彦中心のUWFインターナショナル、藤原組の3派に分かれていき、トーンダウン。格闘技熱を再興させるため、PRIDEが発足。グレーシー一族vsUWFの構図で盛り上がっていき、グレイシー一族を次々と倒していく桜庭和志がスターダムに伸し上がった。
PRIDEが大人気になると、アメリカにUFCが人気になり、マーケットが違うこともあり、PRIDEの人気選手はごっそりUFCへ行きプライドは崩壊。日本の格闘技ファンは見るものがなくなり、またプロレス回帰へと向かい今がある。
YouTubeが出てきて、アメリカで日本の人気のあるレスラーはアメリカへ活躍の場を移す傾向にあり、中邑真輔はWWE、そしてオカダ・カズチカはAEWへ移籍した。日本は新日本プロレスの1強時代の感があるが、スター不足が課題だ。次のアントニオ猪木の登場が待たれるが、日本のプロ野球と同様にアメリカへカリスマが流出する傾向は当面続くであろう。