かつて南京に飽き足らず、中国全土に向けて攻め立て、世界の不興を買い、孤立し戦争に突入した軍部政府。陸海軍。攻め続けることで予算を獲得し、国よりも組織の延命に終始。その結果どうなったかは歴史が証明するところ。
今は公安という組織が古い頭で暴力革命などと煽ることにより、予算獲得、延命に躍起に。
よりにもよってあたかも真実の如き真に受け、自らの行動の論拠にするなどもっての他。
低次元の誹りを免れない。
(サンデー毎日 2021.10.3号)にフリージャーナリスト 青木 理さんが書いていた。
脳内のカビ
タレント弁護士がテレビの情報番組で次のようなコメントを発し、批判を浴びて番組側も謝罪に追い込まれたらしい。「共産党はまだ『暴力的な革命』というものを、党の要綱として廃止していませんから。よくそういうところと組もうという話になるなと、個人的には感じますね」。はてさて、どこから突っ込めばいいのか、いずれにせよ本人としては野党共闘を揶揄し、政治的攻撃を加えたつもりなのだろうが、事実に拠った論評や批判ならともかく、総選挙前に粗雑なガセ情報で特定の政治勢力を罵る神経は常軌を逸している。
ただ正直言って私は、懐かしい気分にもさせられた。かつて通信社で公安担当の記者だったころ、ほぼ同じ台詞を公安警察や公安調査庁の幹部から幾度も聞かされたからである。しかも、時代の変化についていけない無能な幹部ほど、タレント弁護士と同じことを呪文のように繰り返していた。
歴史を遡れば、警察の一部門である公安警察にせよ、あるいは法務省の外局である公安庁も同じだが、戦後日本の治安機関はいずれも冷戦体制下、「反共」「防共」を最大のレーゾンデートルとして発足した。
たしかに戦後まもない時期には血のメーデー事件などが発生し、以後も1970年代にかけては新左翼セクトなどによる爆弾事件やハイジャック、内ゲバ殺人などが続発し、公安警察は一貫して組織を肥大化させ、警察内部でも公安部門を仕切る幹部こそが最高エリートと位置づけられた。そうした増長した公安警察は「泥棒を捕まえなくても国は滅びないが、左翼がはびこれば国が滅びる」と嘯き、時に自作自演の謀略や違法手段まで平然と弄した。52年に起きた菅生事件、86年に発覚した共産党幹部宅盗聴事件はその一端である。
しかし、冷戦体制が終焉を迎えると状況は転換する。しかも95年のオウム真理教事件で公安警察はその危険性を覚知すらできず、いつまでも時代遅れの左翼対策に膨大な人員とカネを注ぎ込んでエリート面をする公安部門への怨嗟は警察内部でも高まり、組織も人員も縮小に転じる。公安庁に至っては、ある意味で治安機関の盲腸のような存在であって、組織の目的たる団体規制は発足以来一度も行われていない。
それでも無能な幹部たちは共産党や左翼対策こそが自らのレーゾンデートルだといったカビの生えた発想にしがみついた。一方で治安機関も一種の官僚組織であり、一度手にした人員や予算は離したくない。だから近年の公安警察は「国際テロ対策」などを新たなレーゾンデートルに掲げ、官邸に警察官僚が突き刺さった政権の後押しも受けて権益の拡大に躍起となっていた。
そうやって状況を俯瞰すれば、無能な治安機関幹部が自らの権益維持のために唱える古証文をタレント弁護士がテレビで堂々と公言したというお粗末な話。本人がどこまで自覚的かは知らないが、その脳内にも相当古びたカビが生えているか、公安の回し者か、そう揶揄されても仕方ない。