神奈川新聞に掲載された先生の寄稿 | ブラック・アングル あばれイッキュウさんのブログ
「核なき世界へ市民の声を」
寄稿 創価学会名誉会長 池田大作
神奈川新聞

長年“不可能”と言われ続けてきた条約がこの7月に国連で採決されました。
前文には「被爆者」の文字が刻み込まれています。
広島と長崎の惨劇を二度と繰り返してはならないという思いが多くの国で共有される中、ついに成立を見たのです。

「横浜も原爆投下の目標地になっていた」

神奈川新聞の一面でこの記事を見た時の衝撃を、私は今も思い起こします。
1979年5月、横浜で中国からの賓客を迎える朝でした。
終戦から30年以上もたって初めて明らかにされた事実です。

大好きな横浜は私にとって核兵器廃絶への誓いを深める場所でもあります。
60年前の9月8日、わが師 戸田城聖先生(創価学会第二代会長)は「原水爆禁止宣言」を発表しました。
民衆の生存の権利を奪う核兵器は“絶対悪”であり、使用を許してはならないと5万人を前に断言した会場が横浜三ツ沢競技場だったのです。
この宣言を原点に私たちは、核兵器の非人道性を浮き彫りにし、禁止への潮流を高めるための展示を、ニューヨークやモスクワをはじめ、神奈川県が交流を結ぶ、マレーシアのペナン州等、世界の多くの場所で行ってきました。核の問題をどこか遠くに感じる人も、写真や展示物から原爆被害の実相を知れば、“もし自分の住む街で同じ惨劇が起きたら‼︎との思いを巡らせるきっかけとなるに違いない、と。

あの神奈川新聞の報道の3ヶ月後に開設した戸田平和記念館(横浜中区)でも核の脅威展等の展示を継続し、国内外の100万人を超える方々が見学しています。

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交流してきた団体に核廃絶を求める科学者のグループ「バグウォッシュ会議」があります。
その創設に影響を与え、横浜に足跡を留めたこともある哲学者ラッセルは日本へ呼び掛けました。
核兵器の脅威はなぜ続くのか。
背景には、人々の間にこの問題は「どうしようもないといった圧倒的な感情」があることが大きい、と。
この厚い壁を打ち破らんと勇敢に声を上げてきたのが被爆者を中心とする「核なき世界」を求める市民社会の連帯にほかなりません。被爆者にとって核兵器の問題は「どうしようもない」と諦め、看過していられるものでは決してなく、「何としても解決の道を開かねばならない」ことだからです。

横浜に住む私の妻の友人は母親が長崎で被爆し、被爆二世として幾多の苦労を乗り越えてきました。
今も地域で若い世代に平和を訴えています。
「戦争ば いけん! 原爆は二度といけん!」と声を振り絞って叫んだ母の悲願を語り継いでいるのです。
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今月20日から核兵器禁止条約への各国の署名が始まります。核なき世界へ前進するためには、国際世論のさらなる喚起が不可欠であり、その推進力となるのは条約でも重要性から強調された平和軍縮教育でありましょう。
その先駆の活動を積極的に展開されてきたのが神奈川です。
横浜市は国連から「ピースメッセンジャー」の称号を贈られています。
受賞から30周年をむかえ、平和・軍縮教育の波動が世界に開かれた神奈川の天地から一般に力強く広がることを願ってやみません。