池田先生は、ローマクラブのホフライトネル名誉会長との対話の中で、次のように語られています。
「どんなに高邁な理念、政策があったとしても、それを実行する人間の『人間観』が正しくない限り、現実がうまく進むことはありません。そこに、深き人間信頼に根差したリーダーシップが、絶対的に必要とされる理由があります」(『見つめ合う西と東』p76)と。
一人一人が、正しい自分観、生命観、人生観、宇宙観、社会観、歴史観を持つ。卓越した人間観を生命に刻み込み、師匠の思想を血肉化させる。
その自身の確立なくして、どんなに理想を語り、スローガンを高々と掲げても本性は見え見えです。人を騙そうとしても、いつまでも誤魔化せるものではありません。
人間の底力を信じて、その可能性を開く力を持たない限り、激励といっても、通り一遍の言葉、形式の会話、心のない記号の羅列にしかすぎません。
一対一の、温かな血の通う語らいと学びがなくては、自分を良く見せるだけの演技です。外見を飾るだけのパフォーマンスです。そのことを、こう続けておられます。
「リーダーが人間性を欠いていても、機構や理念さえ作れば、うまくいく・・そう錯覚したところから、現代の混迷が生まれていると、いえるのではないでしょうか」(同上)と。
ここは、極めて重要です。多くの人が、指導者が、この妄想に取りつかれているのではないでしょうか。規則や原則や形式を整えれば、万事は順調に進むと。
これは人の心を無視し、現場を知らない権力志向の発想です。官僚の思考回路です。天魔の妄想です。戒律で人を縛ろうとした、律宗が陥った顛倒(てんどう)です。
一人一人の覚醒を忘れた組織のシステムなど、砂上の楼閣です。一人の意識改革を抜きにした運動は、強権の手足になるだけです。
歴史探偵を自称している半藤利一氏は、太平洋戦争当時の指導者を、容赦なく裁いて、現代のリーダーたちに、次のような挑戦状をたたきつけています。
「机の上だけの秀才参謀たちの、根拠なき自己過信、傲慢な無知、底知れぬ無責任が戦場にまかりとおり、兵隊さんたちが、いかに奮闘努力、獅子奮迅して戦っても、すべては虚しくなるばかりなのです」(『日本型リーダーはなぜ失敗するのか』p254)と。
支配欲に取りつかれたリーダーを本物と信じ、羊のように従えばすべては報われる。そう確信している哀れな組織人を、見事に描いている。私には、そう読めてしまいます。
