それでもキリスト教を続けますか? | ブラック・アングル あばれイッキュウさんのブログ
アメリカで、ある運動が最近起こっている。
それは、LGBT(性的マイノリティ)に対する差別の自由化である。

一瞬、LGBTへの差別に対する反対運動かと間違えてしまう。

そうではない、逆である。自分たちの宗教において、認められていない性的マイノリティに対して、それを拒んだり、攻撃や差別したりする権利を認めてほしいとする運動である。

およそ、700年も前から、全世界の平和と一切衆生の幸福を目的にしている日蓮大聖人の仏法からしたら、何という辺端な考えか?
結局、自分たちの民族、いや、信奉している仲間さえ幸せならば充分で、他社の人間らは差別して、苦しんでも仕方ないとする考えである。
ある人は、キリスト教は二重人格だと言っている。つまり、日曜日の朝教会に行き、讃美歌を唄い、愛を叫びながら、ユダヤ人を差別し、他の国や民族を憎悪し、時には戦争し、命令だからとなに食わぬ顔で、虐殺の帳簿をつけている。(ナチス時代の実際の話だ)

そういう連中がまた最近、こともあろうに、差別する自由がないと騒いでいる。

結局、自分たちさえ幸せならいいとする宗教がキリスト教だと言っても過言ではない。

たぶん、キリスト教信者は反論できないだろう。