モントリオールは、今日は朝から雨模様である。車で市内を一周してきたが天候のせいか、それとも週末だからなのか、人の多さもさほどではなかった。明日ケベックへ旅立つので今は洗濯中なのである。それにしても今までかなり旅行してきたが、雨が降ったのは今回が初めてである。早く止みますように。。。

今、モントリオールにいるのである。もちろん旅行なのだが、なかなかのんびりした毎日を送っている。あと、2日ある。ん~、どこへ行こうかな~??

ESLでのTutorボランティアを再開した。生徒さんはわずかだったが、その中にスペインからきている青年がいた。まだ、アメリカに来て間もないので英語はあまり話せなかったがそれでも一生懸命学ぼうとしている姿に渡米当時の自分を思い出した。


昼休みに彼と話す機会があり、オートバイレース好きのオレはすかさず、スペイン人ライダーのことを聞いてみた。すると、彼もレース好きで話は大いに盛り上がった。噂には聞いていたが、やはりスペインではオートバイレースはすごく人気があるらしい。これは、ヨーロッパ全体に言えることだと思う。それに比べ、ここアメリカ東海岸においてのオートバイレースの知名度の低さといったらホント、涙が出てくるのである。。。ほとんど誰も知らないといっても過言ではない。


ブラジルから来ている青年もいた。彼は英語が全く話せない。正直、本当に困った。なぜかというと、ポルトガル語で話かけてくるからである。彼はオレがその言語を理解していると思っていたらしい。。。


ともかく、世界は広いと改めて思ったのである。

前々から思っていたが、日本には”地球の裏”という不思議な言葉がある。あるいは人によって、”地球の反対側”、等という場合もある。主に、南米、ブラジル辺りを意味するのだろうが、全くおかしな言葉である。


”地球の裏側に住む人々”、または、”地球の裏側からはるばる日本へやって来た人”、等、あげたらきりがないくらい乱用されている。多分、ブラジル人に言わせれば、


”オレたちは地球の裏になんか住んでいない!!”


と言うにちがいない。ごもっともである。


誰が作った言葉かは定かではない。早く死語にしないと、教育上良くない。いや、人々が住む地球、世界の国々、そして国際性を考える上で大きな妨げになる。だいたい、地球は球体である。裏も表も存在しない。いや、正確には表しか存在しないのである。もし、地球が一枚の紙のようなら、話は別だが。。。


言葉は、”生き物”、である以上、生まれる言葉と亡くなる言葉があってしかるべきである。"地球の裏”、なる言葉は残念ながら我々には必要のない言葉であると思う。





今とっている授業でよく、”モラル”という言葉を耳にする。確かにアメリカ社会にはモラルがあるように思う。が、しかし、個人レベルで考えた時、アンタとアタシのモラルの境界線または中身は必ずしも一致しないよ、というのが必然である。だから、法律や憲法、あるいは宗教等で社会の一般的なモラルを維持しているわけだ。


難しい話はよそう。最終的に善か悪かの境界線に立った時、善だと思う領域に足を踏み入れる勇気がモラルだと思う。では、善と悪に対する認識は皆同じか?答えは、”No”である。でも、多くの人は他の多くの人が善と思うことを善と解釈する。


一体オレは何が言いたいのか??


多分、今のオレは善を善と思うことに自信を持ちたいのだと思う。そして、悪は悪であると徹底して戦う勇気が欲しいのだと思う。モラルの定義は大変難しいが、それでも努力して自分なりのクリアなモラルスタンダードをいつか持ちたいと思うのである。