スティーブン・R・コヴィー「7つの習慣」を読んで② | 昔のテレビ番組や日商簿記1級などの雑記

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【書名】完訳7つの習慣

【著者】スティーブン・R・コヴィー

【発行日】2020年1月29日
【出版社等】発行:キングベアー出版

 

【学んだ所】

何を見るかというよりも、どのようなレンズを通して見ているかが問題であり、そのレンズこそが一人ひとりの世界観をつくっているのである。

状況を変えたければ、まず自分たちが変わらなくてはならないそして自分が本当に変わるには、ものの見方を変えなくてはならない

人格主義実りの人生には、それを支える基本的な原則があり、それらの原則を体得し、自分自身の人格に取り入れ内面化させて初めて、真の成功、永続的な幸福を得られるということを説いている。

二面性や不誠実など人格に根本的な欠陥がありながら人に影響を及ぼす戦術やテクニックを使って自分の思いどおりに人を動かしたり、もっと仕事の成績を上げさせたり、士気を高めたり、自分を好きにさせたりしようとして一時的にはうまくいったとしても、長続きするわけがない二面性はいずれ相手の不信感を招き、どれほど効果的な人間関係を築くテクニックを使ったところで、相手を操ろうとしているとしか見えないだろう。どんなに巧みな言葉を使っても、たとえ善意からだとしても、効果は望めない信頼という土台がなければ、成功は長続きしないのだ。基礎となる人格の良さがあって初めて、テクニックも生きてくる

真の誠実さや根本的な人格の強さがなければ厳しい状況に直面したときに本当の動機が露わになり関係が破綻し結局のところ成功は短命に終わるのである。第二の偉大さ(才能に対する社会的評価)に恵まれていても第一の偉大さ(優れた人格を持つこと)を欠いている人は多いものである。人格こそが第一の偉大さであり、社会的評価はその次にくる第二の偉大さである。

無言の人格こそ雄弁なのである。

突き詰めれば、あるがままの自分、人格が、どんな言動よりもはるかに雄弁なのである。

すべての人の手に、善または悪をなす巨大な力が委ねられているその力とは、その人の人生が周りに与える無言の、無意識の、見えざる影響である。見せかけではない真のあなた自身の影響が、常に周囲に放たれているのだ。ウィリアム・ジョージ・ジョーダン(米国のエッセイスト)

7つの習慣は、効果的に生きるための基本的な原則を具体的なかたちにしたものである。⇒「7つの習慣のどれもが基礎であり、第一の偉大さにつながるものである。これらの習慣を身につけるのは継続的な幸福と成功の土台となる正しい原則を自分の内面にしっかりと植えつけることに他ならない⇒しかし、7つの習慣を本当に理解するためには、まず自分のパラダイムを理解し、パラダイムシフトの方法を知らなければならないパラダイムとは、物事の見方であり、物事をどう認識し、理解し、解釈しているかである。パラダイムとは、何らかの現実を表す理論、説明、あるいはモデルのことである。

人は皆それぞれ頭の中にたくさんの地図を持っているこれらの地図は二つに大別できる。あるがままの状態が記された地図(現実)、そしてあるべき状態が記された地図(価値観)である。私たちは、経験することのすべてをこれらの地図を通して解釈している。地図が正確かどうかを疑うことはめったにない地図を持っていることすら意識しないのが普通だ。ただ単純に、物事はこうなのだ、こうあるべきなのだと思いこんでいるだけなのである。たちの態度や行動は、こうした思い込みから生まれる物事をどう見るかが、私たちの態度と行動を決めているのである。

経験による条件づけが、私たちのものの見方(パラダイム)に強い影響を与えている。⇒家庭、学校、職場、友人関係などの社会通念等々、私たちの生活には多くの影響力が作用している。そのすべてが無意識のうちに私たちに影響を与え、私たちの頭の中の地図、ものの見方、すなわちパラダイムを形成しているのである。

自分は物事を客観的に、正確に見ていると思っていても違う見方をしている相手もまた、話を聴けば同じように客観的に正確に見ていることがわかってくる。視点は立ち位置で変わるのである。

誰しも、自分は物事をあるがままに、客観的に見ていると思いがちである。だが実際はそうではない。私たちは、世界をあるがままに見ているのではなく、私たちのあるがままの世界を見ているのであり、自分自身が条件づけされた状態で世界を見ているのである。何を見たか説明するとき、私たちが説明するのは、煎じ詰めれば自分自身のこと、自分のものの見方、自分のパラダイムなのである。相手と意見が合わないと、相手のほうが間違っていると瞬間的に思う

自分の頭の中にある地図、思い込み、つまり基本的なパラダイムとそれによって受ける影響の程度を自覚し、理解するほど、自分のパラダイムに対して責任を持てるようになる自分のパラダイムを見つめ、現実に擦り合わせ、他の人の意見に耳を傾け、その人のパラダイムを受け入れるその結果、はるかに客観的で、より大きな絵が見えてくるのである。

パラダイムシフトがプラスに働こうがマイナスに働こうが、あるいは一瞬にして起ころうが徐々に進行していこうが、一つのものの見方から別の見方に移行することは大きな変化を生む正しくても間違っていても、私たちのパラダイムが態度と行動を決め、ひいては人間関係のあり方にも影響するのである。

人生を揺るがす危機に直面し、物事の優先順位が突如として変わるとき、あるいは新しい役割を引き受けるとき多くの人は考え方が根本から変化するパラダイムシフトを体験している

生活の中で比較的小さな変化を起こしたいのであれば、私たちの態度や行動に対し適切にフォーカスすれば良いだろう。⇒しかし大きな変化、劇的な変化を望むのなら、土台となるパラダイムを変えなくてはならない

パラダイムと人格を切り離すことはできない。⇒人間においては、あり方は見方に直結するのであり、どう見るかとどうあるかは強い相関関係で結ばれているからだ。あり方を変えずに見方を変えることはできないその逆もまたしかりだ。

パラダイムの力が強いのは、世界を見るレンズをつくるからである。パラダイムシフトは、瞬時に起こる場合でも、ゆっくりと意図的なプロセスで進んでいく場合でも、必ず劇的な変化を生み出す力になる

人格主義の土台となる考え方は、人間の有意義なあり方を支配する原則が存在するということである。⇒自然界に存在する引力の法則などと同じように、人間社会にもまた、時間を超えて不変であり異論を挟む余地のない、普遍的にして絶対的な法則があるのだ。

原則は灯台にたとえることができるそれは破ることのできない自然の法則である。

誰でも、経験や条件づけから形成されたがパラダイムや頭の中の地図を通して自分の生活や人間関係を見ているものである。この頭の中の地図は、現実の場所ではないあくまで主観的な現実であって、現実の場所を表現しようとしているにすぎない⇒「客観的な現実」、つまり現実の場所は、灯台の原則で成り立っている。⇒それは人間の成長と幸福を左右する原則であり、人類の歴史がたどってきたあらゆる文明社会に織り込まれ、長く繫栄した組織や家族の根っことなっている自然の法則である。私たちの頭の中の地図がどれほど正確であっても、原則は変えることはできない

ある社会の人々が原則をどこまで理解し、どこまで従うかによって、その社会が存続と安定へ向かうのか、逆に分裂と滅亡に至るのかが決まるのである。

これらの原則は、長く存続しているすべての主要な宗教、社会思想、倫理体系の一部に組み込まれている。自明のものであり、誰でも日常生活の中で有効性を確認できるものばかりである。これらの原則あるいは自然の法則は、人間の条件、良心、自覚の一部となっていると言ってもいいだろう。社会的な条件づけが違っていても、すべての人間の内面に必ず存在している

原則は手法ではない手法とは具体的な活動、行動である。⇒手法は個々の状況に応じて使い分けるものだが、原則は、あらゆる状況に普遍的に応用できる深い基本の真理である。

原則は価値観とも異なる。⇒価値観は地図であり、原則は忠実な場所である。正しい原則に価値を置けば、真理を手にし物事のあるがままの姿を知ることができる

原則は人間の行動を導く指針であり、永続的な価値を持っていることは歴史が証明している。原則は基礎的なものであり、自明であるから議論の余地すらない。

私たちの頭の中の地図または、パラダイムをこれらの原則、自然の法則に近づけるほど、地図は正確になり、機能的に使えるようになる正しい地図は、個人の効果性、人間関係の効果性に計り知れない影響を与える態度や行動を変える努力をいくらしても追いつかないほど、大きな変化を遂げられるのである。