【書名】一冊で哲学の名著を読む
【著者】荒木清
【発行日】2004年5月15日
【出版社等】発行:中経出版
【学んだ所】
「論理哲学論考」ヴィトゲンシュタイン
・ヴィトゲンシュタインは、歴代の哲学者の息の根を危うく止めようとした。ことばの意味を正確に規定してゆけば、これまでの多くの哲学は無意味になってしまう。その方法論は論理学と数学のコラボレーション。それをまとめたのが「論理哲学論考」であった。
・(概要)ヴィトゲンシュタインは「わたしにどれだけのことが考えられるか」から「わたしはどれだけのことを語りうるか」までの問いに厳格に応えようとした。そこからつぎの言葉に帰結していく。「およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては、ひとは沈黙せねばならない。」
・論理ー語りえるもの
- 命題は、名が直接結合して出来た要素命題でなければならないもので、それは要素命題の真理関数である。⇒要素命題の真理関数は諸命題を基底とする操作の結果(ヴィトゲンシュタインはこの操作を真理操作とよぶ)である。⇒「否定」「かつ」「または」などと我々が言い表すことが「操作」である。
- 「要素命題」とは名からなり、名の連関、連鎖であり、名の「関数」であり、それは「否定」「かつ」「または」などを含まないもの。⇒「五・三 すべての命題は要素命題に真理操作を施した結果である」ということになる。⇒語りうるものは以上のような語り方で語られうる。
- 「私の限界」は「私の言語の限界」である。「私は私の言うところのものである」ことである。=「私」は「言えないところのものである」ことはできないことである。⇒そしてそれぞれの「私」はミクロコスモスを形成していることになり、独我論を形成してゆく。
- 論理学は学説でなく、世界の「鏡像」で、論理は超越論的である。⇒「六・一二五一 それゆえ論理においても驚きはけっして生じえない」⇒そして存在するのはただ、論理的必然性のみであり、「六・三七三 世界は私の意志から独立である」という。⇒意志と世界の間にはそれを保証するいかなる論理的連関も存在しないからである。
・倫理ー語りえないもの
- 命題は語りうるものを表現するもので、倫理、美、世界の意義などについては表現できない。⇒倫理や美は超越論的だから。⇒世界がいかにあるのかは、命題によって語りえられる。それは自然科学の領域である。⇒しかし、世界があるということは命題によって語りえない。彼はそのことを「神秘」とよぶ。⇒答えが言い表し得ないならば問いを発することもできない、だから「謎」は存在しない、とヴィトゲンシュタインは我々を突き放す。
- 「六・五二 たとえ可能な科学の問いがすべて答えられたとしても、生の問題は依然としてまったく手つかずのまま残されるだろう。もちろん、そのときもはや問われるべき何も残されていない。そしてまさにそれが答えなのである」⇒「六・五三 語りうること以外は何も語らぬこと。自然科学の命題以外はーそれゆえ哲学とは関係のないこと以外はー何も語らぬこと」⇒そして「七 かたりえぬものについては、沈黙せねばならない」と締めくくる。