価値観と組織 | リハビリ茶屋

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たとえば、素晴らしい価値観を持つ人がいるとします。(たとえば、です)

その価値観は、誰もが感嘆するほど優れた価値観です。

 

しかしその価値観は素晴らしすぎて、所属する組織や団体の中では、誰しも完璧に真似できません。

「この考え(価値観に基づく思考過程)は凄いハズだ、さぁこの通りにみんな、やろうぜ!」と言われて、その組織のメンバーは素晴らしさを理解しているので、やってみようかとは思っていますが、上手に模倣できません。

 

なぜ?

アタマでわかっていても、実行する能力は別に要るの?

実行(模倣)できないということは、理解が足りない?理解しているようで実は分かったつもりになっているだけだった? すなわち素晴らしさを真に理解はできていなかった?

それとも、メンバーが真似できない =組織にそぐわない「モノ」であるのなら、素晴らしくもない価値観だったのか?

はたまた、素晴らしい価値観を扱えない「組織自体」に問題があったのか

…そもそも、価値観に優劣なんて、あったっけ?

 

 

何でもそうですが、

【価値観】という「モノ」も、

組織や環境に適応して初めて素晴らしさが光るような気がしますが、どうでしょうか。

 

疑いなく純粋に尊敬の念を抱くほどの理論であっても、その実働エリアでパズルのピースにハマらない不適応な「モノ」であるのなら、

それは修正すべき「モノ」であって、

または修正すべき「時」かもしれないし、

組織で機能させるために価値観を多少修正したとしても強力なパズルのピースになり得るのなら、その修正案のほうが「素晴らしいモノ」になりますね。

この修正することは当然の事と思うのですが おっさん化 した人にはそれが難しいようです。

 

 

他人に批判されようとも信念を貫いた結果うまくいった』という成功者の話を耳にした事もありますが、

それは信念を環境(たとえば組織)に適応させるために何かを少しずつ変え続けてきた結果のような気がします。

価値観は、組織に馴染んで初めて意味を成す気がします。

 

 

何事においても必要なコトは、「環境適応」ですねぇ。

ジダイに取り残されたくはないので、頑張ります~。

 

Masa