「 つかさが託してくれた命からの最期のメッセージ」
つかさの存在は僕にとって めっちゃ心の支えになった。
僕の家は学生時代、網走で1番と言っていいほど、悪い学生達が集まる溜まり場で、やん
19歳以降の僕が、社
網走の友達たちからは
「えいたは変わった」
「えいたと今 話しても面白くない」
「まじめになった」
みたいに、言われたり、思われてた時期でもあったし、友達も減った。
強い志はあっても、札幌にいた当時 22歳の僕は
当然 不安もあった中で、
強い意志をもって、夢に向かって生きてる
つかさが
「 えいたはすごいね 」
「 えいたは優しいね 」
って、いっつも言ってくれてたから、それは本当に支えになった。
『 自分の魂の声を信じてみよう 』
といつも本気で道を決めてこれた。
つかさと過ごした時間はむちゃくちゃ自分らしくいれて、楽しかった思い出しかないし、本当に魂の友、心の友で、すご
僕が 札幌から出て、四国や関西で住み始めてからは、つかさと会う機会がほとんど無くなっちゃったけど 結婚の報告をきいて感動して、赤ち
そして、2011年2月。
僕は当時、札幌に志事に行くことが増えていてたんだけど、札幌から6〜7時間かかる網走までは ほんと~にたまにしか帰らない中
2月11日に 兄貴分である「てんつくマン」(山崎邦正の元相方)
これは行かねば! ということで、僕も凱旋トークをさせてもらうことになって帰省したら、
なんと。。。
帰ったその日
年に1.2度しか帰らない網走に、たまたま帰った日が 「心友」のお葬式なんて。。。
あ
《 赤ちゃんを産んで 亡くなった 》
なんで!!!!!
ウソだろ!!!!!
悔しくて、悔しくて、悲しくて、辛くて。。。
なんで、こんなに
憧れていた花嫁さんになれた。
夢だったお母さんになれた
その直後に??
これからさらに幸せいっぱいの赤ちゃんとの日々が始まるはずのと
心の中が グチャグチャになった
くそーーー!!!
なんで つかさんなんだよーー!!!
ちくしょーーーーー!!!
うあーーーーー!!!
叫びまくっていた。
もうっ、どこにもぶつけようの無い気持ちと共に
ただ、ただ何度も亡骸に
「ありがとう」を伝えた
でも、全く納得がいかない。
その当時は みんなは障害があったから、出産は難しか
僕の中ではちょうど、2010年末に
「出産 誕生が幸せになることが世界平和の近道! 」
という思いで バースカフェをスタートしたばかりで、出産に関する 意識や 環境 医療体制など
様々なところに課題をいっぱい感じていた時だったので 正直、
「 病気だから 亡くなった 」 とは直ぐに思えなかった。
関西から嫁いできた 兄の奥さんも 出産環境が凄く納得できなかった って言ってたのも思い出した。
僕は お葬式の最後まで残り、皆んなが居なくなった後に、つかさの親族に聞きました。
「 すいません!! 僕は今 出産環境の課題について勉強してるんですが、今回のことは医療側にも 何か原因は無かったんですか? 」
と尋ねると
「 実は その可能性もあるんじゃないか? という話があって 調べてもらうことになっているんだけど、まだ分からないことだから 言わないで。。。」
と。
これは 僕自身が感じたことで 真実は わからないけど
でも 僕の直感は
「 やはり。。。 そうか。。。」 と 静かに頷いた。
さらに 悔しさがこみ上げてきた。
悔しい。。。
悔しいよ。。。
チクショーーーーーー!!!!
つかさの 命から 聴こえてきた。。。
えいた この命には限りがあるから。。。
命 を もっと 精一杯 輝かせて生きてほしい
命がもっと 大切にされる世界を守ってほしい
えいた お願い。。。 託したから。。。
つかさぁぁぁーーー!!
一緒にやろうやーー!!!
これからじゃん。。。
死なないでくれよー。。。
僕は 号泣した。。。
そして そこで 決めた。 本当に 強く 決めた。
絶対にこんな苦しいこと
こんな悲しすぎること
こんなに悔し
2度とお起こしたくない!!!
日本中の お母さん達
赤ちゃん達が
幸せな出産 誕生ができる
環境を絶対に作る!!!!
絶対に作る!!!!
そう決めた。
第3話に続く。。。



