「丹田に力を込める」


 何気ない一言だが、この一言に深い意味がある。そんな気がしてならない。





 待ってくれ、こうじゃないな。そんな畏まった口調で書いてちゃ最後まで持たんぞ。もっとシンプルに考えていることを書いていこう。







 このブログを書く前に、俺は友人とサッカーボールを蹴って遊んでいた。少し時間が出来たので自然溢れる大きな公園を散歩することにしたのだ。ただ、散歩するだけでなく軽く運動したい気分だったのでサッカーボールを転がしながら歩くことにした。平日の昼間なだけあって園内に人影はあまりなく伸び伸びとボールを蹴ることが出来た。広い園内を独占するかの如く思いっきりボールを転がしたのだが、久しぶりの運動だったからか体は重く動きは鈍かった。それでも久しぶりの運動に充足感を覚え、心は軽やかで清々しく晴れやかな気分だった。

 それなりに園内を歩くと、そこそこのスペースがある広場に出たので何も言わずにそこで強めのボールを互いに蹴り合った。運動不足か、冬だからか、インサイドでボールを蹴るたびに思わず摩りたくなる様な痛みが走った。学生時代に夢中でボールを追いかけていた時に味わっていた痛みと同じで、どこか懐かしさを感じていた。反面、体は重く、すぐに乱れる呼吸が時の流れを淡々としらしめていた。

 (もう少し動けると思ったんだけどな)

 イメージする自分との乖離に若干の哀愁を感じながらも、過剰に増えた体重をボールに乗せるべく助走をつけて全力で蹴り込む。ボンッと小気味良い音を立てながら友人の足元めがけてボールが飛んでいく。良い感じに素早く地面を転がるが、数回バウンドしたのち、彼も息を切らしたかの様に失速し、友人の元へ辿り着く頃には蹴り出した時の面影は無くなっていた。

 (心臓痛ぇな)

 自身の衰えを感じつつも汗を流しながらボールを追いかけるのは心地が良かった。息を吸うたびにズキズキと心臓が痛んだが、それでも走るのは楽しかった。足腰がリードで引きずられてる様な情けない走り方だったが、それでも走るのは楽しかった。



 一月の寒空を忘れさせてくれる程体が温まった頃、程良い満足感を感じたので一息つくことにした。テーブルを挟んで木製のベンチに並んで腰をかけた。正面の友人に目を向けると、軽く汗を流しつつも息はそれ程乱れていなかった。
 一言二言言葉を交わしたのち、虚空を見据えて呼吸を整えていると、突然脳裏に電流が走った。






 「下っ腹に力がこもってないぞ!俺!」






 フランスのジャンヌ・ダルクが天啓を聞いた様に、



 イギリスのアイザック・ニュートンが林檎が落ちるのを目にし万有引力の存在を理解した様に、



 イタリアのガリレオ・ガリレイが「それでも地球は動く」と確信を持って呟いた様に、



 日本の英介は息が切れる程サッカーボールを蹴り、自身のエネルギーが丹田から漏れ出ているのに気がついた。












 さて、序盤に小説っぽく書き上げ、終盤に茶番を入れて本日の本題へと入るのだが、えー、まずは駄文を展開して申し訳ないです。急に物語調で書きたくなったのだ。読みにくかったりするかと思うが、温かい目で読んでくれると嬉しく思います。





 はい、ということで本日のテーマ


 「丹田に力を込める」


 これについて考えていこうと思います。まぁ考えるってか、それについて気がついたこと、思ったことをペラペラと書いていく。








 何故英介青年はサッカーボールを転がして、自身の丹田からエネルギーが漏れ出ていることに気がついたのか。それについて触れていこうと思います。

 どこから書いていこうか。そうですね、きっかけの一つはやはり走った際に腹を出すように走っていたことですかね?必死にボールを追いかけている際に「腰にリードをつけられて、無理矢理引っ張られる様に走ってんな」そんな風に自分の走りを評価した時、やけに下っ腹を出しながら走っているのに気がついた。気持ちだけが先行して、体がついてきていない。そんな走り方。

 そして友人とボールを蹴り合っている時、友人が蹴るボールは地面をバウンドした後、失速するのではなく地面の状態によってはイレギュラーな加速をみせ、足元で伸びてくるのだ。それにより後一歩というところでボールに追いつくことが出来なかったりする。対して俺が蹴るボールというのは音の割にはスピードが出ず、地面を数回跳ねたら完全に勢いが無くなってしまう。互いの脚力の差というか俺のキックにはパワーが全然何のだ。

 最後に呼吸。俺は息が切れるのが早い。学生時代に比べて信じられない程体力が無くなっている。そんで回復もまぁまぁ遅い。これは由々しき事態だ。仰向けにこそならないものの、心臓が痺れ上がるように痛んでベンチにどっかりと腰を落とさずにはいられなかった。



 「走」「筋」「呼」




 これら三つの異変を感じた時、どれも臍の下、「下っ腹」が出ていることに気がついた。そして芋づる式で丹田が連想され、エネルギーの漏出に結びつけた。


 
 下っ腹、即ち「丹田」ここはエネルギーを貯蔵するとこなんじゃないか?精神世界かじったことのある人なら一度は目にするであろう「チャクラ」ってやつもこの部位に該当してなかったっけ?

 あれ?チャクラってのは頭のテッペンから尾骶骨の末端までの正中線を七つか八つの部位事に分けたやつをそう呼ぶんだっけ?ちゃんと理解してないけど少なくとも腹の底も該当してた気がする。







 週刊少年ジャンプでも連載されていた「NARUTO」でも腹の底からチャクラを練り上げていたし、







 今現在連載中の「呪術廻戦」でも呪力は腹の底で練るって言ってた。







 これらを例に出すのは如何なものかと思うが、腹の底、つまり丹田とエネルギーの関わりは少なくともあると思う。この事を直感的に思った際に、俺の下っ腹には締まりがないと思ったのだ。



 下っ腹に締まりがない=丹田に締まりがない。つまり、丹田からエネルギーが漏れ出ている。そんな風に思ったのだ。







 腹の底に力がないとどうなるか。多分だけど、「根気」がなくなるんだと思う。根気が漏れ出ているから物事が継続しなかったりするんだと思う。これが原因だ!とは断言することはないけど、三日坊主の要因の一つだったりするとは思う。

 運動不足が故に筋力が衰え、下っ腹が出る様になり根気が漏れ出るようになったのか、

 根気が漏れ出たが故に、運動不足になり筋力が衰え、下っ腹が出る様になったのか。


 鶏が先か、卵が先かみたいな書き方をしたが、少なくとも突然そういう風にはならない。そういう風になる「生活習慣」に問題があることは間違いがない。
 根気が漏れ出る様な生活習慣、運動不足になる様な生活習慣、事情はあれど、俺の場合はそれらの習慣を継続、または加速させ、根気が漏れ出る様になっているのである。





 念のために書いておくが、これはあくまで俺の体験であってこれが「真理」だとは思っていない。俺の場合は…………、言い方が難しいな。なんて言ったら良いんだろうな。太った太ってないとかそういう話ではなくて、シンプルに下っ腹の締まりがないのだ。腹に力を込めると腹筋板チョコバレンタインを確認することも出来るし、肥満ってわけでもない。(以前と比べたら筋肉が脂肪に変わって体重増えたけどね)

 文字通りシンプルに下っ腹の締まりがないのだ。




 これは改善する必要がある。昔の人達は丹田に力を込める重要性というか意味をしっかりと理解していたんだなって思った。




 「丹田に力を込める」




 短い言葉ながらそこに深い意味を込めた。そんな気がしてならない。片鱗程度しか理解できちゃいないかもだけど、多分この感覚は間違いじゃないと思う。













 さて、そんなこんなで丹田に力を込める?蓄える?練る?ニュアンスで申し訳ないけど、下っ腹にエネルギーを集めておく重要性を片鱗でも理解したつもりなので、この後はどうしていくか?それについて考えていきたいと思う。




 ブログの記事は前半後半に分けて書いていこうと思います。よろしければ次回も読んでいってくれたら嬉しくです!



 というわけで、本日も読んでくださりありがとうございました。また次回をお楽しみ〜👋