前回の続き





 自由についてて新たに思うことがある。


 それは自分の器量の無さだ。器量がないというより自分自身で一杯一杯だから、小さい箱に自分が一杯一杯詰まっているから、他が入る余地がないのだ。

 そういう状況だと素直にもなれないし、愛する人を愛する事も出来ないし、愛される事も許容出来ないし、自身の子供に愛ある行動も向けられない。つまりは頑固になっているという事だ。

 YouTubeで一真が言っていた事がよく分かる。俺は今頑固になっているんだろうな。素直になれていない。だからこそ自由を体現する事が難しいし、これじゃあ愛が居座る事も出来ないんだろうな。








 いやはや、自由とは素直とはよく言ったものだな。

 素直であるって俺が思っている以上に大切なことなんだろうね。

 じゃあどうやって素直になっていくんだいって話だけど、



 俺よ、一つ問う。

 素直になりたいか?





 素直になりたい。





 よし、まず素直になりたいかどうかで全然変わってくるもんな。素直になりたいって思ているなら、素直になれる扉が目の前に現れる。


 色々思索していく前に、そもそも俺は何に素直になれていないんだ?正直その自覚も薄い。


 やっぱ自分自身に素直になれていないのか?

 俺はどんな時自分自身に素直になれていなんだ?




 やっぱ7つの大罪か?


 何度かブログで上げてきたけど、やっぱこの動画に出てくる7つの大罪とかに素直になれていないんだろうな。




 でも正直なところこれ以外にもある気がする。例えば自分自身に素直になれていなかったりすると思う。

 いや〜、ちょっと集中して考えられないな。










 一旦帰宅してお風呂に入ってきた。







 さて、改めまして自由とは何か?

 それを感じ考えていく中で、素直になれない頑固な自分がいる事が分かってきたわけだ。そして己に問うた。

 素直になりたいか?





 ここまでの流れで素直さと自由度は密接に関わっていると考えて良さそうだな。


 自分がどれだけ自分の心・気持ちに素直になれているかによってその人の自由度が変わってくる。

 ならば素直になろうという話になってくるだろうが、素直になれない時・習慣がある。

 それがプライドだ。




 我々のYouTube霊能者のアトリエでは度々出てきた言葉だが、現在の俺はプライドと向き合うことをせず、痛みを感じない様に過ごしてきた。

 だからこそ様々な部分で鈍感になっていっているのだろう。

 自分の痛みと向き合わない代わりに感覚を少しシャットダウンしたとの事だが、あんまりメリットはない。むしろデメリットだ。

 何故なら痛みを感じなくても心は常に掴みどころのないモヤモヤがある状態だからだ。それを動画やゲーム等で一時的に忘れる事も出来るが、それはただの先延ばしにしかならず、結局どっかでそのツケを払うことになるのだ。
 一時の娯楽や快楽は根本の解決をしてくれないのだ。


 自分の痛みは感じてなんぼ(自傷しろという意味ではない)。痛みには理由があるって事ですな。


 


 ふむ。この続きをどうしたものか。





 瞼も重くなってきて思考がまとまらないぞ。

 
 





 自由って何だろうな。










 自由とは
























 寝る事だ。

























 今日は寝ます。

 本日も読んでくれてありがとうございます、また明日のブログもお楽しみに〜👋













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