今日の、思索では色んなテーマについて自分なりに考えていくブログになります。その際に自分の考えをそのまま書き出すので支離滅裂だったり視点がいったり来たりするとは思いますが、僕の頭の中を覗くような感覚で楽しんで頂ければ幸いです😎
本日も僕の思考をそのまま垂れ流してお送りしたいと思います。それでは、ゆっくり見ていてください😁
昨日は自分の在りたい像をイメージした。それを考えている内に他の想いも湧いて出てきた。
「どうしたら自分と信頼関係を築いていけるか?」
「どんな人に物語を届けたいか?」
今日はこの二つをメインに答えていこうと思う。
まず、自分との信頼関係についてだが、以前YouTubeかラジオで一真と話した記憶がある。が、まだ話せる程理解した訳ではないので自分なりに考えていこう。
どうしたら、か。やっぱり自分が決めたことを守っていくことが自分との信頼につながってくるんじゃないか?自分で決めたことを守れなかった時に己を裏切ってしまったことによる後ろめたさからどんどん自信を喪失していくと思う。
「俺には、私には出来ない」
「どーせ俺なんか……」
自分との信頼関係の欠如からこんな事を言いがちになると思う。ソースは俺。一昔前は俺には出来ないとしょっちゅう思っていた。
あ、唐突に思い出した。ラジオで信頼について話していたんだ。それも僕のラジオじゃなくて友人のラジオで話していたんだ。あと、今日YouTubeに投稿された動画でも話していたんだ。
この動画の後半ぐらいで信頼について少し触れていますね。いや〜正直この回は僕にとってそこそこきちぃ回になりましたわ。完っ全に僕自身の問題なんですけど、固い部分が顕になっちゃいましたね。お恥ずかしい。
やばい、集中出来なくなってきた。ブログに意識を集中出来ていない。ちょっと小っ恥ずかしくなるというか、なんか深く思考出来ないわ今。正直今日はこのままフェードアウトしたい気分(笑)
そんな状態ではあるが、まぁゆっくり考えていこうじゃないか。そうだなぁ、信頼ねぇ。改めて考えようとしてみるとなんなんだろうな。
自分を信じるってなんなんだろうな。
「俺なら出来る」
ただ漠然と口にするんじゃなくて心の底からそう思えてないと力って漲ってこないよな。この心の底から「出来る」って感覚って普通に生きてたら中々湧いてこないよな。
多分少し違うとは思うんだけど、先祖……………。
あ、分かった。そうだ、自信って自分が何者か知っている時に起こるものだ。
落ち着け、少しずつ書いていこう。
以前、はちゃめちゃ筋トレしている時とか、先祖について想いを馳せている時に、なんていうか全能感みたいな漲ってくる感覚が沸き起こってたんよ。
「俺なら出来る」
思わず口角が上がっちまう様な、そんな漲る感覚。背中に化身が宿ってる様なそんな力強さ。胸張って肩で風切って歩く様なそんな感じ。
まぁ上記の一文は完全に舞い上がってる状態なんだけどね(笑)
(舞い上がってる時は背中からこんな感じのムキムキの魔人が腕組んでニヤついているイメージが湧き起こってた笑 多分筋トレしてたからだと思う)
話がそれましたね笑
本題というか俺が言いたいのはこっち。
「自分が何者であるか理解している時に自信が溢れてくる」
「俺は一体何なんだ?」
「何の為に生きているんだ?」
そんな風に考えていた時は自信なんてカケラも湧いてこなかった。自分に対して疑念か疑問があると言いますか、「自分の事が分からない」から信頼なんてカケラも湧かなかったんだ。
でも、自分が何者であるかについて少しでも意識を向けて考えてた時は、
「これがやりたい」
「こうしたい」
「俺ってこんなに素晴らしいのか」
そんな風に思えてきた。あぁ説明が下手くそだな。なんでこういう結論というか答えを出したのかというと、一時期すごく自分の先祖について想いを馳せている時があった。そん時はまだまだ自分でどうにかしようって思っていなかったので色々問題があったのだが、まぁその話はまた別の機会においておいて、えーと、何の話だっけ?
そうそう、先祖ね。先祖の凄さを知る機会があって、その凄さに感動して
「俺が生まれてきたって奇跡だな」
そんな風に思って、自分の存在の尊さに震えた。そん時に少し自分を知った気になった。それまで知らなかった自分を知ったことによって凄く力が湧いてきた。
まぁそん時は少し新鮮な理解に舞い上がっていた感は否めないのだが、この
「自己理解」
こそが「自信」に繋がるんじゃないかと思う。だからこそ皆んな自分について知りたがるんだと思う。
占い手相心理学etc色んなものことをして自分を知ろうとするんだと思う。現代社会では自分が何者か、何の為に生まれてきたのか、何をしたいのか、そういった自分について考える時間が極端に少ない。かく言う僕も自分についてまだまだ理解していない点が多い。
あぁ、そうか。書いてて思ったわ。
自信がない時って、「自身が無い」とも書ける。つまり自分自身が居無い。自身が喪失している。自信がない。
自分が居ないからこそ、皆んな自分を探すんだ。
無意識にしろ、有意識にしろ、皆んな自分を取り戻したいと希求しているからこそ、自分を探すんだ。自分を知りたいのだ。
だからこそ微かにでも自分について知る事が出来たと思えれば、とんでもない力が湧いてくる。それこそ思わず舞い上がってしまう様なそんなパワーが漲ってくるのか。
なるほどな。そうかそうか。自信を身につけたいのならば、己を知れば良い。
これこそが自信なんじゃないか?ここに資格も努力も何もいらない。ただ自分を知れば良いだけだ。自己理解があれば、自信が身につく。自身が在る。
うわ〜、どうだろう?ちょっと勢いそのままで書いてるから凄く読み辛いかも知れないけど、皆さん伝わったかな?個人的には凄く満足しちゃったんだけど。
一旦まとめるか。
前回の記事でも書いた様に、
「明るくて自身に満ち溢れていて、書く事を楽しんでいる小説家」
に、成りたいのなら、俺がすべきは
「『明るさ』って何?」
「『自信』って何?」
と、いった具合に自分で自分の質問や疑問に答えていくことによって、
「自分の答え」
を知れて、己のを知ることになり、
「自己理解」
と、成る。
自問自答を通して自己理解をしていく。これが自信と成る。
これが今回の結論かなー。
そうか、俺は自問自答を繰り返して自信に満ち溢れていくんだな。そうかそうか、やっと分かった。
なんか自分の中で理解が深まるとこう、胸の中心から力が湧き上がってくる感覚があるわ。でも、以前の様な舞い上がる様な感じではなく、薄らと微笑む様なそんな漲りかた。
内側で漲ってる。それがじんわりと外に滲み出ている感覚かな(笑)
オッケー、在りたい自分になる為にも自問自答を繰り返していこう。そんなこんなで今日の思索は終わろうかな。次回は「どんな人に物語を届けたいのか?」これについて考えていこう。
それでは本日も読んでくださりありがとうございます。また次回のブログをお楽しみに〜👋
ps
自分の内で「自信に満ち溢れてた時期ってどんなんだっけ?」って振り返っていたら、筋トレしてた時期と先祖に想いを馳せてた時期だなって思い出して、そっからピンと来て「自信=自己理解」に辿り着いた笑
確かに自信に満ち溢れていた時期ではあったけど舞い上がってた時期とも取れるから、やっぱ自己理解って大切よな。まぁそん時も自己理解の片鱗に触れていたから自信が湧いてきたんだと思うけど。
それじゃーのー👋
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