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今日は少し考えさせられる出来事がありました。
子どもたちが一生懸命取り組んでいる問題集を見ていたときのことです。
もちろん、子どもたちは真面目に頑張っています。
しかし、ふとこんなことを思いました。
「これって、クイズの問題に答えているだけではないだろうか?」
正しい答えを選び、正しい答えを書く。
できれば〇がもらえる。
できなければ△や×になる。
そして、その積み重ねがテストの点数になっていく。
もちろん、勉強は大切です。
知識も必要です。
しかし、それだけで子どもたちは本当に幸せになれるのでしょうか。
勉強は自己肯定感を育てるのか
テストで良い点が取れれば自信はつきます。
スポーツで活躍すれば嬉しいでしょう。
それによって自己肯定感が高まることもあります。
しかし、それは案外もろいものかもしれません。
テストで点数が下がったらどうでしょう。
試合に負けたらどうでしょう。
評価されなくなったらどうでしょう。
「できる自分」に価値を感じていた子どもは、
「できない自分」に価値を見いだせなくなってしまうかもしれません。
勉強やスポーツは自己肯定感を育むための道具にはなります。
しかし、それ自体が自己肯定感の正体ではないように思うのです。
子どもが求めているもの
子どもたちが本当に求めているのは何でしょうか。
それは評価ではなく、理解なのではないかと思います。
「なぜできないのか」
ではなく、
「何に困っているのか」
「どう感じているのか」
「どんな思いを抱えているのか」
そうした心の部分に大人が寄り添うこと。
理解してもらえたと感じたとき、
子どもは少しずつ自分自身を受け入れられるようになります。
そして、自分の力で前に進もうとし始めます。
花はそれぞれ咲く時期が違う
私はよく花に例えて考えます。
桜は桜です。
ひまわりはひまわりです。
チューリップはチューリップです。
桜に向かって、
「なぜひまわりのように咲かないのか」
とは言いません。
ひまわりに向かって、
「桜より遅いじゃないか」
とも言いません。
それぞれが違う花だからです。
そして、それぞれに咲く時期があります。
ところが、人間の子どもに対してだけは、
「あの子より遅い」
「もっと頑張りなさい」
「なぜできないのか」
と比べてしまいます。
本当は子どもたちも、一人ひとり違う花なのに。
教育の役割とは
教育とは、子どもを評価することなのでしょうか。
私はそうは思いません。
教育とは、子どもを理解することから始まるものだと思っています。
問題集も大切です。
テストも必要です。
しかし、それらは目的ではなく手段です。
子どもの価値を測るためのものではありません。
子どもが自分らしく成長していくための道具です。
だからこそ私たち大人には、結果だけを見るのではなく、その子自身を見る姿勢が求められているのではないでしょうか。
余裕のない社会から、余裕のある社会へ
今の社会は少し急ぎすぎているように感じます。
早く結果を出さなければならない。
早く成長しなければならない。
早く成果を見せなければならない。
そんな空気の中で、子どもたちも大人たちも疲れてしまっています。
だからこそ私は思います。
もっと余裕のある社会になってほしい。
子どもが自分のペースで歩ける社会。
大人が子どもの成長を信じて待てる社会。
比較する社会ではなく、理解する社会。
そんな社会をつくることも、教育に携わる私たちの大切な役割なのかもしれません。
一人ひとりの花が、自分らしい時期に、自分らしく咲けるように。
そのために、私たち大人は何ができるのか。
これからも考え続けていきたいと思います。🌸










