養育費の増額は,本当に必要なのか? | 線路の外の風景

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 あまり注目されていないようですが,最近こんな記事を見つけました。

<参照記事>

養育費、12月に増額の方向 ひとり親世帯の貧困に対応(朝日新聞デジタル)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191113-00000007-asahi-soci

 

離婚訴訟などで広く使われている養育費の算出基準について、最高裁の司法研修所が今よりも受取額が増える方向で、新たな基準を策定する方針を固めた。2003年に示された現行基準には「金額が低く、母子家庭の貧困の原因になっている」との批判が強く、社会情勢に合わせた改定を行うことにした。12月23日に詳細を公表する。

【写真】養育費を受け取れないシングルマザー

 現在は、東京と大阪の裁判官6人が03年に法律雑誌で発表したものが「算定表」として長く実務で使われている。夫婦の収入、子の人数や年齢に応じて機械的に計算できる。例えば、養育費を支払う夫の年収が450万円、15歳の子を養う妻の年収が100万円なら、1カ月あたり「4万円超6万円以下」となる。

 家裁では、この額をもとに他の事情も考慮して養育費を決めるが、生活を維持するには不十分なケースも多く、「母子家庭の貧困の一因になっている」との批判があった。日本弁護士連合会は16年、現行の1・5倍程度に引き上げる内容の新たな算定方式を独自に公表し、改善を求めた。

 

1 そもそも「養育費の算定基準」とは何か?

 法律に詳しい人や,実際に離婚した人を別にすれば,そもそも「養育費の算出基準って何?」という人も少なくないでしょう。そのため,話の前提として,養育費の算出基準について簡単に説明しておきます。

 民法第766条・第771条では,父母が離婚をする場合,「子の監護に要する費用」の分担については当事者間の協議で定めるものとされており,その協議が調わないとき,または協議をすることができないときは,家庭裁判所がこれを定めるものとされています。いわゆる,離婚に伴う「養育費」の支払いは,この条文が法的根拠ということになります。

 そして,家事事件手続法では,子の監護に関する処分を別表第二の第三項で家事審判の対象事項に掲げており,調停手続きや審判手続きに関する詳細な規定を定めていますが,民法でも家事事件手続法でも,支払うべき養育費の算定基準について特に明文の規定を置いておらず,養育費支払い義務の有無,及び支払うべき場合の金額については,家庭裁判所が個別の事情を総合的に考慮して判断すべきというのが,法律上の建前です。

 

 しかし,実際の家庭裁判所実務では,養育費の支払いに関する紛争案件が多いことから,具体的な基準がないと大量の事件を円滑に処理できないということで,2003年に東京と大阪の裁判官による共同研究で,『養育費・婚姻費用算定表』というものが作られました。

 この算定表は,法的にはあくまで参考資料という位置づけであり,養育費の金額等に関する決定を行う裁判官が法律上この算定表に拘束されるわけではありませんが,家庭裁判所の実務では余程特別な事情が無い限り,この算定表に基づいて養育費の金額が決定されます。日本ではこの算定表が,支払うべき養育費の金額を決める事実上の算定基準としての役割を果たしていると言えます。

 算定表は,子供が1人から3人までの場合,子供が0~14歳の場合と15~19歳の場合に分けて9種類作られており,個別の事情を考慮できるよう,ある程度の幅を持たせて設定されています。例えば,両親ともに給与所得者で,父親の給与所得(源泉徴収票上の支払金額)が725万円,母親の給与所得が200万円,子供が2人で10歳と7歳の場合には表3が適用され,父親が支払うべき標準的な養育費の金額は月8~10万円ということになり,家庭裁判所の調停や審判では,基本的にこの範囲内で支払うべき養育費の金額が決定されます。

 なお,子供が15歳以上の場合には,一般的に学費等の負担が大きいということで,養育費の金額は若干増額されます。例えば,子供がそれぞれ18歳と15歳,それ以外の条件は上記と同じという場合,標準的な養育費の金額は月10~12万円となります。

 

2 本当に,すべての母子家庭が貧困に苦しんでいるのか?

 今年の12月に最高裁の司法研修所がやろうとしているのは,このような養育費の算定基準について,「金額が低く母子家庭の貧困の原因となっている」といった批判があることから,現在より義務者側(大半が父親)の支払額が増える方向で見直しを行うというものです。

 母子家庭の貧困問題について詳しい実情を知らない人は,単純に納得してしまうかも知れませんが,実際にはすべての母子家庭が貧困に苦しんでいるというわけではありません。

 令和元年5月15日に刊行された,コアマガジン社の『まんが これが現実 貧しい日本DX』では,日本の貧困問題について多面的に考察した興味深い記事が色々載っているのですが,同書165頁以下の『各種サービス無料の乱舞 ”仮面”最底辺シングルマザー』という漫画では,世間的には貧しいと思われているシングルマザーのとんでもない実態が暴露されています。

 

 詳細については同書を読んで頂くことにして,ここでは上記漫画が指摘している実態について,箇条書きで紹介することにします。

 

・ 漫画に登場するKさんは,35歳のシングルマザー。スーパーでパートとして働き,月収は12万円。子供は2人おり,長男は高校生で次男は中学生。スーパーで食材の余り物を分けてもらうなど食費も切り詰めており,傍目にはいかにも可哀そうな貧困シングルマザーのように見えます。

 

・ しかし,Kさんは上記パート収入の月12万円以外に,父親からの養育費を2人分で月4万円,児童手当を2人分で2万円,さらに国から母子家庭手当として,児童扶養手当を2人分で52,330円,児童育成手当を2人分で27,000円受給しており,Kさん一家における実際の月額収入は,約26万円ということになります。

 

・ これに加え,Kさん一家には夫がいないため,夫関連の支出がありません。夫婦が揃っている家庭であれば,夫分の食費や小遣い代,スーツ代や洋服代その他諸々の費用がかかることになりますが,Kさん一家ではこれらの費用が一切かかりません。そのため,Kさん一家の収入は,夫婦が揃っている一般の家庭に換算すると,概ね手取り30万円台に相当することになります。

 

・ シングルマザーであるKさんの受けている恩恵は,これだけではありません。3DKで家賃1万3千円という格安の都営住宅に,Kさんは母子家庭ということで優先的に入居することができ,しかも水道代は半額,粗大ごみ回収は無料。さらに,東京都の『ひとり親家庭補助制度』により,都電と都バス,都営地下鉄については,1世帯1人までいくら乗っても無料。医療費も無料なので,整体も無料で通い放題。ディズニーランドやサンリオビューロランドへ遊びに行く際にも助成金が出ます。その他にも保養所や海の家が割引になったりするなど,シングルマザーの家庭は,一般家庭に比べかなりリーズナブルに遊べるのです。

 

・ そして,Kさんは収入を抑えて低所得者認定を受けているため,高校生である長男の制服代も補助されており,公立高校では授業料も無料になります。中学生である次男の給食費も一部補助ないし無料,教材もほぼ無料です。Kさんは,長時間必死に働いても月12万円しか稼げないのではなく,実はこうした公的支援を最大限に活用するため,敢えて平日の昼間に1日6時間程度,月平均120時間程度しか働かず,自分の収入を低額に抑えているのです。

 

 管理人は,入院中にこの漫画を読んで思わず驚愕したのですが,国や自治体の公的支援がここまで充実しており,むしろシングルマザーが通常の一般家庭以上に裕福な生活を送っているというのであれば,これに加えて離婚した父親が支払うべき養育費の金額を増やす必要が一体どこにあるのか,と考えてしまいます。

 

3 養育費の増額は,「母子家庭内格差」の拡大に繋がる

 もちろん,すべての母子家庭が,Kさんのように楽で裕福な生活を送っているわけではないでしょう。

 厚生労働省の『平成28年度全国ひとり親世帯等調査結果報告』によれば,母子家庭の母について,養育費に関する取り決めをしているとの回答が42.9%であり,そのうち文書による取り決めをしているのは73.3%とされています。他方,そもそも養育費に関する取り決め自体をしていないという回答が,54.2%と半数以上にのぼりました(残りの2.9%は不詳)。

 取り決めをしていない理由については,最も多かったのが「相手と関わりたくない」,次に多いのが「相手に支払う能力がないと思った」とされています。

 そして,離婚した父親からの養育費について,「現在も受けている」との回答が24.3%,「養育費を受けたことがある」が15.5%,「養育費を受けたことがない」が56.0%とされています。

 

 この調査結果だけで,母子家庭の実態を正確に把握することは難しいのですが,母子家庭のうち父親から養育費を受け取っているのは,概ね全体の2割台にとどまっていることが分かります。なお,現実に父親から養育費を受け取っている家庭の中では,受け取っている養育費の平均月額は43,707円とのことです。

 そして,そもそも養育費の支払いに関する取り決めをしなかった理由として多いのは,(1)既に関係が破綻している父親と養育費の交渉等を行うことの困難さ,(2)父親に養育費を支払う能力や意思が期待できないというものであり,養育費を請求できることを知らなかったなどという理由を挙げた家庭はほんのわずかです。

 (1)に属する理由としては,「相手と関わりたくない」の31.4%,「取り決めの交渉がわずらわしい」の5.4%,「取り決めの交渉をしたがまとまらなかった」の5.4%,「相手から身体的・精神的暴力を受けた」の4.8%が挙げられます。

 (2)に属する理由としては,「相手に支払う能力が無いと思った」の20.8%,「相手に支払う意志がないと思った」の17.8%が挙げられます。

 個々の具体的事情にもよりますが,このようなケースについて養育費の請求をしないことを非難するのは,あまりにも酷です。特に,父親が無収入またはそれに近い状態の場合,養育費の支払いを求めて家庭裁判所に調停や審判を申し立てたところで,算定表に基づく養育費の金額が0~1万円,または1~2万円となってしまうこともあり,このような場合には請求するだけ無駄というものです。家庭裁判所に審判を申し立てることで月額10万円以上の養育費を請求できるなどというのは,実際には父親の収入がかなり高い場合のみであり,母子家庭全体の中ではレアケースに過ぎないのです。

 

 前述したKさんのような場合,シングルマザーになったことでむしろ恵まれた生活を送るようになったようですが,すべての母子家庭が父親から養育費を受けられるわけではなく,またすべてのシングルマザーが仕事に就けるわけではありません。シングルマザーのうち,実際に就業している人の割合は81.8%であり,就業していないシングルマザー193名のうち,「求職中」と回答した人が81名,「病気または病弱で働けない」と回答した人が37名,「子供の世話をしてくれる人がいない」と回答した人が15名います。

 Kさんのようなケースと異なり,就労できず父親からの養育費も受け取れないシングルマザーの生活が,かなり苦しいものになることは容易に想像できますが,本当に必要な施策は養育費算定基準の見直しではなく,様々な理由から働きたくても働けないシングルマザーや,現実に養育費を受け取れていないシングルマザーに対する支援ではないでしょうか。

 シングルマザーの中ではむしろ恵まれている部類に属する,現に父親から養育費を受け取っている家庭についてその金額を増額するというのは,むしろKさんのように恵まれているシングルマザーだけを更に優遇し,様々な理由から養育費を受け取ることのできないシングルマザーとの「母子家庭内格差」をさらに拡大することになる一方,真面目に養育費を支払っている父親を経済的に苦しめ,養育費の支払いを免れている父親との格差をも拡大することに繋がり,適切な政策とは到底言い難いと考えられます。

 

4 算定表決定プロセスの不透明性

 そんなわけで,管理人は最高裁のやろうとしている養育費の増額には反対の立場であり,この記事を読んだ上で,管理人の考えに賛同してくれる人も少なくないと思われますが,養育費の算定表は前述のとおり,建前上は一部の裁判官たちが作成している参考資料に過ぎないため,算定表の改定にあたり母子家庭の貧困問題に詳しい人が参加するわけではなく,また法律や政令と異なり,新しい算定表案に対するパブリック・コメント(意見募集手続)が実施されることもありません。

 外部有識者や一般市民の意見もろくに聞かず,裁判所内部の議論だけで,しかもわずか1か月程度の作業で,市民生活に多大な影響を及ぼす養育費の算定基準が,むしろ問題のある方向で改定されるというのは,算定基準の決定に関するプロセスにも問題があると言わざるを得ません。諸外国の中には,養育費の算定基準についてきちんと法律で定め,かつ子供の養育費について,税金などと同様に源泉徴収する制度を導入しているところもあるということであり,養育費の不払いが社会問題になっているというのであれば,養育費の増額ではなく,むしろそうした制度の導入を検討すべきではないでしょうか。

 

 なお、日弁連は養育費の金額を現行の1.5倍程度に引き上げる新たな算定方式を独自に公表し「改善」を求めたとのことですが,管理人の知っている限り,日弁連の政策提言は内容もその決定プロセスも,かなりいい加減なものです。

 管理人が弁護士をやっていた時代には,重要な法改正等に対する弁護士会の意見を取りまとめる会務活動に従事していたのですが,そのとき先輩弁護士から聞いた話では,その弁護士が日弁連の出そうとしている提言の内容に重大な問題があると指摘したところ,「弁護士会の意見なんかどうせ通らないんだからこれでいいんだよ」と言われたことがあるそうです。また,民法(債権法)の改正にあたり,日弁連の意見を取りまとめるため各単位会に意見照会をしたところ,「模範答案を寄越せ」と言ってきた単位会もあるという話を聞いたこともあります。

 また,近年の日弁連や単位弁護士会は,単純に弁護士の仕事が増えるかどうかで意見の内容を決めてしまう傾向が強くなっており,中には当事者間の協議だけで離婚できる現行の制度を改め,離婚にはすべて裁判所の手続きを必須とし,かつ当事者双方に弁護士を代理人に付けることを必須とすべきだなどという,あからさまな弁護士エゴを丸出しにした「意見」を口にする人まで現れるようになっています。弁護士の仕事が減ることになっても,過払い金の発生原因となっているグレーゾーン金利の廃止を求めた高潔な日弁連の姿は,既に過去のものとなっているのです。

 

 どうでもいい日弁連の話はこのくらいにしますが,新しい算定表が公表されても,実際の家庭裁判所実務では,多くの事件で新しい算定表の妥当性が激しく争われることになり,これによって養育費の支払請求に関する法的手続きが現状よりさらに煩雑なものとなり,そのために養育費の支払請求自体を断念してしまう母親が増えてしまうことも懸念されます。また,算定表が改定されたことを踏まえて,既に養育費を受け取っている母親が新しい算定表を根拠にその増額を求め,養育費をめぐる紛争が大幅に増加することも懸念されます。最高裁の司法研修所は,養育費の算定表見直しにあたり,そうした様々な懸念を真剣に考慮しているのか,甚だ疑問であると言わざるを得ません。