認めなきゃいけないのか?
だんなが、しつこくしつこく、インターネットでBBCのラジオニュースが聞けるようにしてくれ、と言ってくる。
「そんなん、BBCのHPにはいって、指示に従ったらええやん!」
「だって、リアルプレーヤーが必要って言うんだもん!」
「それをダウンロードしたらええやん!」
「どこから?」
「リンクがそこにあるやろ(怒)」
「あ・・・」
ばかめ。
「聞けるようになった。ふーんだ、ふーんだ、eiが助けてくれなくっても自分でできるもーん」
け。
まあ、そんな一件があったあと、だんなはネットでラジオニュースを聞いていたけど、突然、怒り出した。
イギリスの民主党があたらしい党首を決めるらしいんだけど、その候補者の一人(サイモン・ヒューズ)が、ここ数日、ゲイじゃないのか?といわれていたらしい。それを、一応遠まわしに否定していたらしいんだけど。
この日のヘッドラインの
を聞いて、だんなは怒り出した。
「なんで、ゲイって認めなきゃいけないんだ? 犯罪じゃないんだし、そんなのほっとけばいいじゃん!」
わたしも、そう思う。
このニュースについて、ピーター・テチェットというゲイの活動家がインタビューを受けていたけれど、わたしの考えは彼とほぼ同じ。
テチェットはこんな風に言っていた。
ゲイであることは犯罪ではないのだから、それを人に言う義務は誰にもない。
確かに、政治家にはゲイでありながらも、それを隠して、ホモセクシュアルに対して差別的な言動をとったりする人がいる。そういう行為はHomophobia(ホモセクシュアルに対する病的非理性的恐怖症)であるし、偽善的だ。だから、そのような場合には、その人のセクシュアリティーを公けにすることは必要だと思う。
しかし、サイモン・ヒューズに関しては、彼は一度もゲイに対して差別的な言動もとったことはなく、ゲイの権利を守る法案などにも常に賛成票を投じている。そういった意味において、彼はHomophobiaでもなく、偽善的でもない。
こういう場合には、彼のセクシュアリティーを公けにする必要はないだろう。ましてや、それを攻撃することなどまったく必要がない。
さまざまな立場にいる人で、自分のセクシュアリティーについては黙っている人がまだまだ多い。これは、カミングアウトすることによって自分が自分の属しているコミュニティーから差別を受けたり、排他的扱いを受けたりするからだ。こういう可能性がある限り、セクシュアリティーについて黙っていてはいけない、というのは、おかしい。黙っている権利だってあるはずだ。
本当に、わたしもそう思う。カミングアウトできたら、それは簡単でいいだろう。でも、実際にはそんなに簡単にできない。カミングアウトできないのは、その人に勇気がないからでも、その人がずるいからでもない。そういう人に対して偏見と差別を持っている社会が悪いのだ。
ゲイであることをカミングアウトしろ、そして、ゲイであることを「認めろ」と要求する背後には、やはり、どれだけイギリスがゲイに対して理解があるとはいえ、ゲイに対する恐怖感があるのかな・・・と感じた。
「だってさ、君がゲイだってわかってないと、安心できないじゃん」
と、暗に言っているような気がする。
この背後には、ゲイというセクシュアリティーを、性の怪物としてとらえている部分があるんだと思う。だから、怪物の居場所をはっきりさせることによって、安心感がほしいんだろう・・・。そこには、ゲイと性犯罪人を同列で捕らえている部分があるような気がする。
でも、ゲイは性犯罪人ではない。
だから、それを必要な場合を除いて、公けに言う必要はない。
そう思います。