ヤンダダダをしなくなった訳
海さんやcomplexologistさんの疑問にお答えして・・・
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息子はかわいい顔をして気性が荒かった。
生後3ヶ月目、歯ブラシをあげて、口の中でごちょごちょするという、歯磨きの練習をさせていた。それがえらく気に入ったらしい。よだれたらしまくりで、歯茎をせっせとこすっている。
5分・・・
10分・・・
15分・・・
「もうそろそろ、やめにしようね」
だんながそういって歯ブラシを取り上げた。そうしたら、息子がぎゃーぎゃーと泣き始めた。泣き止まない。
「歯ブラシ、返したったらええんとちがう? 好きなだけさせたら?」
「そうかな?」
そこで、だんなが歯ブラシを返してあげた。そうしたら、息子は、だんなに向かって、
歯ブラシを投げつけた。
将来性充分・・・。
保育園に入ってからも、自分が遊んでいるおもちゃをほかの子がとったりすると、ものすごかった。泣くわ、わめくわ、じたばたするわ。
保育園のナースが、
「この子はほかの子供とおもちゃを共有できないんですよ」
と、遠まわしに我々を非難してきた。
でもね、大人だって、自分の所有物の共有はできないでしょ。自分のPCは人に触って欲しくないし、自分の洋服を誰かが勝手に引っ張り出してきたら嫌でしょ。自分が読んでいる本を横からとられたら怒るでしょ。それを子供にだけ我慢させるのは、ちょっと酷ではないかな?
まあいい。
それ以外にも、トーストを二つに切り分けた、といっては、ヤンダダダ。
この洋服は着ないといっては、ヤンダダダ。
カフェで、自分で選んだサンドイッチが嫌だといっては、ヤンダダダ。(このときは、その場で息子を抱えて帰宅しました。)
保育園でもヤンダダダ。
「今日は4回しかヤンダを言わなかったんですよ」 ニッコリ~
なんて、保育園の園長さんに「褒められる」始末。
かわいい顔してあのこぉ~わりとやるもんだねと~
いわれ続けたあのころぉ~生きるのがつらかぁったぁ~
古いですが、あみん、してしまいます・・・。
体罰はしたくなかった。恐怖と嫌悪で言うことを聞かせてもしょうがない。分かってもらいたいのだ。それはいけないことだと、納得してもらいたいのだ。しかし、そういったった論理は幼児には通じない。
それにヤンダダダのときにこっちが怒ると、向こうも負けていないので、どんどん状況がひどくなる。
だから、ヤンダダダをはじめると、部屋をきれいにして、一人で床の上に転がしておいた。一緒にいると、ほんとに頭にきて、非生産的になるから、わたしたちは庭にでるか、別の部屋に行くかした。
ヤンダダダを外でしたら、速攻で帰宅した。
ヤンダダダをしたカフェは、息子のお気に入りだったが、ヤンダダダをしたから駄目だ、と言って、二度と連れて行かなかった。
ヤンダダダをしたから、という理由では絶対に息子の言いなりにだけはならなかった。きつかった~。
それで、待った。いつまでも待つわ~。Terrible Two(ひどい二歳)はいつかは終わる。終わるはず。
そして、4歳になったあるとき。保育園から電話が来た。たいした怪我ではないけれど、腕に怪我をしたので迎えに来てくれ、と。
急いで迎えに行くと、ヤンダダボーイは、やけにしょぼんとして床に座っている。
やはり、些細なことがきっかけで、椅子に座っているときに、ヤンダダダをしていたらしい。危ないので、ナースが椅子から降ろそうとしたら、
「椅子からなんか降りないからね」
って感じで、椅子にぎゅーッとつかまって抵抗をしたらしい。そのとき、バランスを崩して、椅子ごとたおれた、そうだ。腕をひどく打つかひどくひねるかしたようだ。骨折無し、外傷なし、関節もOK, 単なる打ち身だとすぐ分かる。たいしたことは無い。謝るナースに、事故だから、こちらこそすみません、と謝った。
それが、息子の最後のヤンダダダ、だった。
要するに、あれね。ヤンダダダをしても自分の思い通りにはならない、それどころか、痛い目にあう、って、身をもって学習したわけだ。
天の配剤、です。しかし、なんで、もう少し早く配剤が来なかったもんだか。第一次反抗期が3年半続いたのは、きつかったです。
オチは無し! 息子が椅子から落ちただけ。