この町の変なお祭り
西ヨーロッパと言うと、キリスト教がその文化の中心となっているような印象を受けるかもしれないけど、実は、けっこう、キリスト教以前の土着宗教が残っていて、エキセントリックなお祭りがたくさんある。
でも、こういったお祭りはあまり有名ではないし、その地域の人たちも外から観光目的の旅行者が押し寄せることを嫌うことが多いので、紹介されることはほとんどない。
わたしも、海辺のこの町に引っ越してきて半年が経つけれど、実は今になって始めてこの町の珍しい祭りを知った。日本人がここに住んでいたことはあまりないので、この祭りを日本に紹介するのはわたしが初めてではないか、と、思う。
ことは、息子がもうすぐ11歳になることからはじまった。
この町で11歳というのは大人になる年齢だ。海辺のこの町では、昔、11歳になると男の子は漁師として漁に参加することができた。そのためには大人にならなければいけない。そこで、成人式のような通過儀礼が行われていたそうだ。
そして、その年に11歳になる男の子は復活祭の日に行われるこの通過儀礼に参加しなければいけないのだそうだ。
この通過儀礼というのが、また、非常にエキセントリックなのだ。男の子たちは白いドレスを着て海に入り、ドレスを海中で脱ぎ捨てて岸まで戻ってこなければいけない。
まこと、不思議な行事である。
そこで、少し調べてみた。そうすれば、確かに納得がいく行事であることが分かった。
この地方には、幼少期における男女の格差が小さいのは、子供というのは両性具有であるからだ、という迷信があったらしい。そして、成人通過儀礼を通して、二つの性のうちの一つを神にささげ、男性または女性としての個人が成立するのだそうだ。
ゲイ・レズビアンは、この通過儀礼において、神が両方の性を肉体の中に残した人たち、と考えられている。この場合、なぜ、神がそのようなことをしたのかは分からないが、何らかの人知を超えた理由があると信じられていた。それゆえ、この地方においては、ゲイ・レズビアンは特別な選ばれた人たちと考えられ、大切にされてきた。
男の子は海神に女の性をささげ、女の子は月の女神に男の性をささげる。
その男の子の行事だけがどういうわけか残ったらしい。
だから、男の子は海神の花嫁として海に入る。つまり、これは死の儀式なのだ。
そして、ドレスを脱ぎ、男として海から出てくる。つまり、女の性を捨て(神にささげることで女の性が死に)、男の性だけを持った大人として、海から再生してくるのだ。
この、死と再生という祭りのテーマを考えれば、この祭りが復活祭と同じ時期に行われるのも納得がいく。多分、キリスト教が入ってきたときに、土着の宗教を吸収したため、こういうことになったのだろう。
そこで、息子に花嫁の白いドレスを買ってきた。ちょっと高い。一度だけ着て、海に脱ぎ捨ててくることを考えると、もったいない。でも、まあ、こういったお祭りが大好きなので、少々の出費は我慢しよう。
「おい、復活のお祭りのドレス、買ってきたえ」
「きたくない」
「何でやねん。みんな着るやろ。お祭りの意味も説明したったやろ。なにがいやなんや」
「だって、スカートはくのは女の子でしょ」
「おい、そういうくだらん性差別はあかんって言ったやろ。ズボンはいたら男か?」
「・・・・」
「とにかく、着てみ」
息子はしぶしぶとドレスを持って部屋へ行き、着替えて、でてきた。
・・・・似合っていない・・・。
が、息子、鏡を見ながら、まんざらでもなさそうである。
「おかあ、スカートって気持ちいいねえ。おちんちんとが、ぎゅうって押さえられてなくって。自由な感じ。ねえ、僕、これからスカートはこうかなあ」
え??
って、うそさ。ごめんなさい・・・。
「うそ日記」へのトラックバックです。
でも、こういう宗教があるんなら、いいかも。新興宗教でも作っちゃおうかな。
個体内に両性が入っている、というのは、ギリシャのアリストパネスの話からヒントを得ました。
アリストパネスの話はこちらをどうぞ。
でも、こういったお祭りはあまり有名ではないし、その地域の人たちも外から観光目的の旅行者が押し寄せることを嫌うことが多いので、紹介されることはほとんどない。
わたしも、海辺のこの町に引っ越してきて半年が経つけれど、実は今になって始めてこの町の珍しい祭りを知った。日本人がここに住んでいたことはあまりないので、この祭りを日本に紹介するのはわたしが初めてではないか、と、思う。
ことは、息子がもうすぐ11歳になることからはじまった。
この町で11歳というのは大人になる年齢だ。海辺のこの町では、昔、11歳になると男の子は漁師として漁に参加することができた。そのためには大人にならなければいけない。そこで、成人式のような通過儀礼が行われていたそうだ。
そして、その年に11歳になる男の子は復活祭の日に行われるこの通過儀礼に参加しなければいけないのだそうだ。
この通過儀礼というのが、また、非常にエキセントリックなのだ。男の子たちは白いドレスを着て海に入り、ドレスを海中で脱ぎ捨てて岸まで戻ってこなければいけない。
まこと、不思議な行事である。
そこで、少し調べてみた。そうすれば、確かに納得がいく行事であることが分かった。
この地方には、幼少期における男女の格差が小さいのは、子供というのは両性具有であるからだ、という迷信があったらしい。そして、成人通過儀礼を通して、二つの性のうちの一つを神にささげ、男性または女性としての個人が成立するのだそうだ。
ゲイ・レズビアンは、この通過儀礼において、神が両方の性を肉体の中に残した人たち、と考えられている。この場合、なぜ、神がそのようなことをしたのかは分からないが、何らかの人知を超えた理由があると信じられていた。それゆえ、この地方においては、ゲイ・レズビアンは特別な選ばれた人たちと考えられ、大切にされてきた。
男の子は海神に女の性をささげ、女の子は月の女神に男の性をささげる。
その男の子の行事だけがどういうわけか残ったらしい。
だから、男の子は海神の花嫁として海に入る。つまり、これは死の儀式なのだ。
そして、ドレスを脱ぎ、男として海から出てくる。つまり、女の性を捨て(神にささげることで女の性が死に)、男の性だけを持った大人として、海から再生してくるのだ。
この、死と再生という祭りのテーマを考えれば、この祭りが復活祭と同じ時期に行われるのも納得がいく。多分、キリスト教が入ってきたときに、土着の宗教を吸収したため、こういうことになったのだろう。
そこで、息子に花嫁の白いドレスを買ってきた。ちょっと高い。一度だけ着て、海に脱ぎ捨ててくることを考えると、もったいない。でも、まあ、こういったお祭りが大好きなので、少々の出費は我慢しよう。
「おい、復活のお祭りのドレス、買ってきたえ」
「きたくない」
「何でやねん。みんな着るやろ。お祭りの意味も説明したったやろ。なにがいやなんや」
「だって、スカートはくのは女の子でしょ」
「おい、そういうくだらん性差別はあかんって言ったやろ。ズボンはいたら男か?」
「・・・・」
「とにかく、着てみ」
息子はしぶしぶとドレスを持って部屋へ行き、着替えて、でてきた。
・・・・似合っていない・・・。
が、息子、鏡を見ながら、まんざらでもなさそうである。
「おかあ、スカートって気持ちいいねえ。おちんちんとが、ぎゅうって押さえられてなくって。自由な感じ。ねえ、僕、これからスカートはこうかなあ」
え??
って、うそさ。ごめんなさい・・・。
「うそ日記」へのトラックバックです。
でも、こういう宗教があるんなら、いいかも。新興宗教でも作っちゃおうかな。
個体内に両性が入っている、というのは、ギリシャのアリストパネスの話からヒントを得ました。
アリストパネスの話はこちらをどうぞ。