胃癌OP後、医師から大腸内視鏡をした方が良いだろうと言われた。
40数kmも南へ出るのも大変なため、地元の病院で受けると答え、6月半ばに普段も通っている地元の病院で受けた。
検査中自分でも確認したが、どう見ても大腸内部がきれいでないのだ。
これは最初に潰瘍性大腸炎の診断をした医師のところへ行こうと、紹介状を書いて貰いCDによる画像も持参し、2日後に受診した。
医師が画像を見ていたが、即再発していると言われ、薬を飲みなさいと薬をもらって帰った。
次回8月末に内視鏡検査を受けることになり、先週金曜日に受けたところ、大腸内部が嘘のようにきれいになっていて、嬉しくなった。
薬の服用と肝心な食生活を続けた結果、前回の検査が嘘のように見えるほど好転していた。
医師も検査室の看護師さんもびっくりしていた。
潰瘍性大腸炎は、食事制限が凄いことあって、普通口にする・口にしたい食物は、ほぼ全部と言って良いほどNGである。
刺激物はNG、動物性脂肪に食物繊維もNG、油の多い青物魚もNGで、アルコールも当然駄目であえり、肉は鳥胸肉か鳥ササミしか食べることが出来ない。
牛乳もダメで唯一ヨーグルトはOKなのだ。
コーヒーも刺激があるのでNGだがお茶や水はOkで、何にしても口に入れたいものは、ほぼ食べてはいけないものだ。
初めて診断されたのは61歳の終わりで、鮮血は出るし熱も出た。
原因は、地元から団体の事務局長をと請われ、定年を3年半も残し勝手退職した勤務先でのストレスだった。
毎日「こういうやり方はNOだ」を繰り返す日々で、どうしてこういうことが判らないのだろうと、一から教える始末。
当然団体長はいても非常勤であり、その上名誉職的な程度で、事務局長がすべてを把握して日々の職務を進める始末。
職員が好い加減だからストレスは溜る一方だった。
65歳まで保障されていたが、5年5ケ月勤務した職務上のストレスで、年金満額支給の62歳を持って退職した。
年金は夫婦2人でなんとか暮らせる程度しかなく、非常に厳しいがそれでも生きて生活しなくてはならない。
そんな中でも退職金でヨーロッパへ家内共々結構出かけた。
西尾食品のアルファルファ米にアマノの味噌汁、自家製の梅干しに缶詰めとか、現地では必ず朝食はご飯に味噌汁を食べ、自由行動時にはスーパーマーケットを探し、夕食も持参のご飯などと購入した野菜でサラダを口にしたり・・・。
ツアーの仲間から、そうまでして海外へ来るのか?と言われたものだ。
最初は特定疾患指定を受けて3割負担が助かったものだが、今から7・8年前に国が特定疾患になる病気を増やした時、私は経過が良いので対象外となり、それ以後1年間薬を服用しそれも頼んで辞めていた。
胃癌OP以後、どうも下痢と便秘が交互にありおかしいと思っていたら、胃がんOPの医師から大腸内視鏡検査をしようか?と言われ、当初に書いた通りにしたのだ。
いずれにしても、薬と食生活とで嘘のようにきれいになり、これも歳を経てはいるものの、一応栄養士である家内の奮闘のたまものだと感謝している。
家内が云うには短大栄養科1年生の時、これからは管理栄養士制度が出来ると教授から話があったと。
翌年管理栄養士制度が法制化され、在籍していた大学もその後4年制で募集を始めたとか。
今後どこまで生かされるか判らないが、きちんとした食生活をして、生きたいものである。
とは言いつつも、生きるということは難儀なものではある。