子貢仁を為すを問ふ。
子曰く、「工其の事を善くせんと欲せば、
必ず其の器を利くす。
是の邦に居るや、其の大夫の賢者に事へ、
其の士の仁者を友とす。
衛靈公第十五
<口語訳>
子貢が仁の実践方法について尋ねた。
孔子は言われた。
「職人が良い仕事をしょうとすると、
必ずまず道具を磨きます。
そのように、自分の国においては、
重臣の中から、賢者を選んで
そこに仕えるべきです。
また、同僚とは人格者と付き合うこと
が大切です。
<左中の学び>
大工さんや料理人を見ていると、
自分の道具をいつも綺麗にし、
最高の状態にして仕事をはじめます。
普段の立派な手入れがあってこそ
素晴らしい仕事もできるというのもです。
ヤンキースのイチロー選手は、
子供の頃から、練習や試合が終わったら
一人になってもグローブやスパイクを
磨いていたそうです。
超一流選手になるには、
まず、道具に感謝し「ありがとう」の
気持ちを込めて手入れしているのです。
その気持ちが、素晴らしい結果として
現れてきます。
ずるいことをやったり、
人を押しのけたりして、
地位や財産をつくるのも
人間の能力、知能の一つであります。
それを使っていろいろのことができる。
できるけれども、
そんなことができても、
これは人間としては少しも偉いことではない。
社会的には偉いかも知れぬが、
人間としてはむしろ恥(は)ずべきことです。
何を為(な)すか、
何をしたかということと、
彼はどういう人間か、
如何(いか)にあるか、
ということとは別である。
「誠実」とは、言うことと行うことの間に
ズレがないこと。
いわゆる「言行一致」であり、
随(したが)って人が見ていようがいまいが
その人の行いに何らの変化もないことの「持続」をいう。
森 信三
大晦日 最後の塾であります。
中3受験生は 毎度 当たり前ですがいわゆる「正月」は
ありません。
大晦日、正月だからといって前進を停止するわけには
いきませんね。でも 今必死にやっても差がつきません。
相手も 必死にやっているんだから…。
中3受験生は普通の景色ですが、小学生となると
大晦日にくるのは ちょっと話が違いますね。
こちら長野のド田舎には 中学受験はありません。
都会の小6なら ラストスパートでしょう。
「今までの復習をしましょう…」「今 頑張って
中学で困らないように…」の様なクリシェ的
言葉は投げかけないようにしています。
そこで 言うことはいつも決まっています。
「人と同じ事をしていたら 差がつきませんよ」
「頑張ってはいけません… あくまでも夢中です」
午後も2セット目を終了して 本年が終了します。
ですが 勉強には終了がありません。
中3受験生は 毎度 当たり前ですがいわゆる「正月」は
ありません。
大晦日、正月だからといって前進を停止するわけには
いきませんね。でも 今必死にやっても差がつきません。
相手も 必死にやっているんだから…。
中3受験生は普通の景色ですが、小学生となると
大晦日にくるのは ちょっと話が違いますね。
こちら長野のド田舎には 中学受験はありません。
都会の小6なら ラストスパートでしょう。
「今までの復習をしましょう…」「今 頑張って
中学で困らないように…」の様なクリシェ的
言葉は投げかけないようにしています。
そこで 言うことはいつも決まっています。
「人と同じ事をしていたら 差がつきませんよ」
「頑張ってはいけません… あくまでも夢中です」
午後も2セット目を終了して 本年が終了します。
ですが 勉強には終了がありません。
本日は 故米長邦雄 永世棋聖の告別式であります。
棋士 米長邦雄では なくて 人間 米長邦雄に魅了された
ファンが多かと思いますが 私もその一人です。
49歳にして 初の名人位を奪取。 当時は
菜の花名人と 言われて 中年世代に希望が湧きました。
名人戦終了後の 名人就位式に幸運にも 参加することができました。
今から約20年前のことですが 鮮明に記憶が蘇ってきます。
約2000人の参列者で 谷川専務理事、羽生三冠ら多くの
棋士も参加されていました。
その時の 挨拶がとても印象深いものでした。
「私は 谷川浩司、羽生善治らが 名人位なった時にそのご家庭に
訪問することが 一つの楽しみでありました。
そこで 共通することは どちらも ご家庭も将棋の事は
ほとんど わかっていないということと お母さんが
大きく構えていらっしゃる ということです。…」(大意)
好きなことを伸び伸びとさせてあげて、
その才能が開花されたのは 周知の事実です。
一つの子育てのヒントになるかもしれませんね。
米長先生の「 兄達は頭が悪いから東大へ行った。
自分は頭が良いから将棋指しになった」という言葉は有名ですね。
棋士 米長邦雄では なくて 人間 米長邦雄に魅了された
ファンが多かと思いますが 私もその一人です。
49歳にして 初の名人位を奪取。 当時は
菜の花名人と 言われて 中年世代に希望が湧きました。
名人戦終了後の 名人就位式に幸運にも 参加することができました。
今から約20年前のことですが 鮮明に記憶が蘇ってきます。
約2000人の参列者で 谷川専務理事、羽生三冠ら多くの
棋士も参加されていました。
その時の 挨拶がとても印象深いものでした。
「私は 谷川浩司、羽生善治らが 名人位なった時にそのご家庭に
訪問することが 一つの楽しみでありました。
そこで 共通することは どちらも ご家庭も将棋の事は
ほとんど わかっていないということと お母さんが
大きく構えていらっしゃる ということです。…」(大意)
好きなことを伸び伸びとさせてあげて、
その才能が開花されたのは 周知の事実です。
一つの子育てのヒントになるかもしれませんね。
米長先生の「 兄達は頭が悪いから東大へ行った。
自分は頭が良いから将棋指しになった」という言葉は有名ですね。