飯田市の毎日通える学習塾【名学館】 -7ページ目

人間の本性が善きものであると考え、孟子が掲げた4つの心は、



「惻隠の心」=かわいそうだと思う心=忍びざるの心



「羞悪の心」=悪いことを恥じ憎む心



「辞譲の心」=譲り合いの心



「是非の心」=善悪を見分ける心



 



かわいそうだと思う心は「仁」の芽生えである。



悪いことを恥じ憎む心は「義」の芽生えである。



譲り合いの心は「礼」の芽生えである。



善悪を見分ける心は「智」の芽生えである。



人間は生まれながらに手足を4本持っているように、



この4つの芽を備えている。



 



それなのに、自分は仁義礼智など難しくて実行できない、



などと決め込むのは、自分自身を傷つけるようなものである。



他人に対しても同じように決め付けるのは人を傷つけるものである。



自分に備わっているこの4つの芽を育てていこうと決意すれば、



火が燃え出し泉が湧き出すようにそれは限りなく大きくなっていく。



これを育てていけば天下を安定させることができるはずです。



 『性善説』はいくらでも応用できますね。



 


歩みを止めたら旅は終わります



旅人は歩み続けるから



旅人というんです



 



歩み続けるとみちが開けます



呼吸も息を吐くから



息が吸えるんです



やさしい言葉も



相手にかけるから



やさしい言葉が返ってきます



心を込めて生きるから、心が変わります



心を込めて語るから、相手に伝わります



 



心を込めて行うから、みんなが感動してくれます。


「目に見えてその成果が表れるようになるには、
相当の量をこなさければいけない。
でも大部分の人が途中で諦めてしまうんです」



 よく「人間だからミスはするもんだよ」と言う人がいますが、

初めからそう思ってやる人は、
必ずミスをするんです。



 基本的にプロというのは、ミスをしてはいけないんですよ。



 



プロは自分のことを、人間だなんて思っちゃいけないんです。
百回やっても、千回やっても絶対俺はちゃんとできる、
という強い気持ちを持って臨んで初めてプロと言えるんです。



  王貞治(福岡ソフトバンクホークス球団会長)


(本 文)
 伊川先生言う、人、三不幸あり。
少年に高科に登る、一不幸なり。
父兄の勢に席(よ)って美官となる、二不幸なり。
高才有って文章を能(よ)くす、三不幸なり。

(『伊川文集』) 

(解 説)
 年の若いのにどんどん上へあがる。世の中はこんなものだと思ったら、
大間違いである。というのは、修練というものを欠いてしまうことになるからで、
これは不幸である。これは官ばかりでない。
親のお蔭で若輩が重役になったりする、みな同じことである。

またいろいろのすぐれた才能があって、文章を能くする、
・・文は飾る、表わすということで、つまり弁が立ったり、
文才があったりして表現が上手なこと・・これも大きな不幸である。

今日は選手万能の時代で、
野球とか、歌舞とか、若くてできる者にワイワイ騒ぐ。
これは当人にとって、大きな不幸であります。
若くてちょっと小説を書くと、たちまち流行作家になって大威張りする。
小娘がチョコット歌や踊りができると、やれテレビだ映画だ、
と引っ張り出して誇大に宣伝する。

つまらない雑誌や新聞がそれをまたデカデカと報道する。
変態現象と言うか、実に面妖なことで、決して喜ばしい現象ではない。

「食べたら 食べっぱなし」
「服を脱いだら 脱ぎっぱなし」
「ドアを開けたら 開けっ放し」

というのは あまり良くないと通常言われていますね。

「覚えたら 覚えっぱなし」というのも記憶には
一番良くないようですね。

その記憶の強化に役立つのが
ペンキ屋方式。

いわゆる「カワラ屋」方式と対義のものですね。
カワラ屋さんは一枚一枚 カワラを最初から
完全に組ながら仕事を進めます。

それに対してペンキ屋さんは 最初は大雑把にサッと表面を
塗ります。そして段々と仕上げの塗りに入って
いきます。

記憶も同じで 徐々に固めていくので
挫折しないで このペンキ屋式を
我が塾でも 取り入れています。