最初は頭(分析力)がよくて実行力もあるから尊敬していた。そのうちだんだん、メッキが剥がれてきた。
誰しも完ぺきな人はいないが、
あまりにも、自尊心、自己顕示欲、自己欺瞞、自分=正義、というのが強すぎて鼻についていた。何様?というかんじである。
上司といっても表向きははっきりいって部下とか上司などの役職違いはなくて、ただのチーフと一般ということだった。
その上司は、なにか仕事で一旦不安に感じると、ものすごく不安になって冷や汗が流れだすほど肝が小さいのでまず不安でなくなるようにその対策を部下に頼む。部下を駆使してその悩みのタネを取り除いて、結局自分がいちばん安心したいだけだ。
さらには、自分が完璧にできる人間だと思っている。
わたしの業務(この上司の留守中に与えられた代理業務)をしゅくしゅくと遂行(外部顧客へのメール代書して発送し続けていたら、おもいがけなくそのことが 結果的に彼のミスを白日のもとにさらすことになった。というのは、彼がかならず返答し無くてはならない顧客からのメールを見落としていてその客からクレームが入ってきていたのだった。わたしは即座謝りあらためて返事をさせるという旨の返事を書いた。そしたら上司は怒りまくって逆ギレ。上司のミスをうまく外部へカバーするのが部下じゃないのか!!!「上司が見逃したのは50件中のたった一件だけだったのだ。それをまるであげつらうように言うなんて」こっちはまったくそんな気はなくて、ただ普通に、顧客のクレームには、反論せずにまず謝っておいて、というクレーム処理の定石をやったまでだ。しかし、上司はまるで「自分のたったひとつのミスを見つけやがってそれをあげつらいやがって」という被害妄想にかられたようだった「なにかの手違いかもしれないから、確認してみますね」の言葉を書いて私のミスをかばうようにするべきだ!と主張するのだった。それはそうかもしれないが、自分のミスが云々よりもまず顧客の気持ちを考えれば(後で結局顧客が注文書を違うメールアドレスに送っていたことがわかったが) ひとこと謝るべきでは?それが非をみとめず(非を認めたふりもできず) あくまでも「なにかの間違いだ。わたしは何も間違っていない!完璧だ!」と言い張るだけなのは 日本人的ではない。まさにもう外国の人たちの考えである。そういう人は私はなんともいえない気持ちで見守るだけである。残念な人たちだ。
普段は冷静打っている上司だったが、このあたりから化けの皮が剥がれてきた。要は完璧主義なだけに、ちょっとでも自分の数少ないミスを他人が見つけると、被害妄想に駆られて自分を守ろうとしてその他人を、攻撃する、ということだ。
そのくせ本人は、いろんなところで他人のミスを指摘しまくり「やっぱり自分でないとミスが多い」などと悦に入っていたが自分の間違い、ミスを指摘されるとこのように激昂するのだった。
自分自身の上司や同僚相手だとそういう素振りは見せない。だからやはり、部下にだけこのように 八つ当たりをするのだろう。反論しないと思っていただろうから。よっぽど「怖かった」とみえる。自分の中で処理しきれないと、その不安や恐怖その他もろもろの感情を、自分のそばで何を言っても多分反論しなさそうな人間に対して、ぶちまけるのだ。自分のミスをそんなに認めたくないのなんて。
そのような上司も、部下にはっぱかけるためなどで確かに仕事に必要なことではあるが、キャパの小さな弱い人なのだと思う。 だが、上司同士、だと、歯の浮くような言葉を交わすのにひきかえ、部下をまるで自分個人の召使いであるかのように、(古い言い回しだが) あごで使いまわし、感謝の言葉もない、というのが尋常ではないとよくわかる。 他人への目は厳しいが、自分を客観的に冷静に見ることができない人なんだなと、当時からよくわかっていたので、もうこちらが 大人であちらが幼児であるかのように見て、なにか喚いていても「なんかやってるわ」と遠くから思っていて、自分のやるべきことだけをしゅくしゅくとひたすら遂行した。 やれやれまあ、「やつあたりする感情」はだれにでもあるので、わたしも人のふり見て我が振り直そうと思っていた。
上司からまともな人間扱いされてないことはよくわかっていたから、彼の前では、まともな人間ではございませんと 謙虚なふりをして上司をもちあげるだけもちあげておいた。この種の人達は、もちあげられることが日常らしいから。 さぞかし王子様のような育てられ方をしてきたのだろう。だから同じように、王子様、お姫様として育てられ特権的な生き方をしてきた人達同士は敬意を持って接するが、そうではない場合は、もはや彼の前では人間ではないらしい。 被害妄想もかなりすごかった。「あいつはわたしのことをバカにしている」と一旦考えるととことんそう思って終わらない。自分に劣等感があることを認めたくないのだろうか。だから余計そういう部分が過敏なのだろう。哀れな人たちである。きっとその先ずっと心が休まることはないだろう。自業自得である。言葉は悪いけど。
そしてもう誰も、彼にいまさらそういう欠点を進言することはない。あのまま、ますます年をとっていき、常に主観でしかものを考えられない人間として死んでいくのだろう。 認知症になったら あの状態で周りをいまよりさらに振り回すだろうから、家族たちは大変だろうなと今から、哀れみさえ感じるほどだ。
さらに独善的な人間であるだけに偏見もすごい。普段は冷静でもいったん冷静さを失うと、誤解でいろんなことを妄想して勝手にできごとを大ゲサにすることもあった。仕事のクライアントから連絡がなかなか来ない。「社会人として失格だ」とまで言い切っていたが、でも結局その仕事相手は病気だっただけの話。メールを無視していたのも体調がわるく気力がわかなかったのだろう、またはなにか事件にまきこまれたとかでもなくて。すぐ妄想に走るのはルーズな人に対する偏見があるからだ。
自分が完璧だ もろくなんかない。と思っているから他人のルーズさを受け入れられない。そういう人ほどもろいんだろうなあと思う。本人も本当はじぶんがとても弱いとわかっていると思う。だからこそ虚勢を張って強いふりをしているのだ。まるでちょっとでも触ると壊れてしまうガラス細工の工芸作品みたい(本人が潤沢なお小遣いにあかしてどんどん買っているが)それと自分が一体化しているくらい価値があるとでも 半分本気で、本人はおもっていそうだ。価値があるのは結構ですが、それは本人が勝手におもっていればいいことでそれを他人にもそうだと押し付けるな。価値があるかどうか判断するのは、他人の方の勝手である。そう思わせるようにすることだ。facebookに写真をあげつづけるのも、ブランド品を買い漁るのもそれだろう。自分の自我を必死になって守っているんだろう。そうやって、どれだけ他人から承認を受けたいのだろう。自己承認欲求の強さにはうんざりする。確かに必要なことだがしかし。。。。。強すぎるのも辟易させられるだけだ。
だからこそ価値ある工芸品やブランド品など買い集めそれらで自分を防御しなくても ふんわり生きているし、(自我が)怪我しても傷ついても、ゾンビみたいに みるみるうちに修復し まったく気にしない(ように見えて)ヘラヘラと(やりたいこと無謀に見えることでも)やっていっている 私みたいな (自由な人間を見ると腹が立つんだろうなあとおもう。
私がもっと気を遣う人間で、上司がなにか言う前に彼のやってほしいことをさっと察してそれをやってあげるような、まるで過保護な母親のような「痒いところに手が届く」くらい気が利く部下だったらもっと安心して私に接してきたであろう。しかしあいにく私は、かなり傷つきやすい神経質な子供時代のつらい経験から、その後あえて意識して「空気を読」まない丸太のように図太い神経であるかのように振る舞いつつ人生を生きてきたから 半分本当にそうなってしまった。だから彼の意図することが なかなかわからないことも多かった。上記の例のように、彼の自尊心を逆なでしたり傷つけたり、にもかかわらず何も気づかないままだったのが、彼にとっては余計に「ずうずうしい」と腹がたったのだろうなと今になってよくわかる。
御本人は、最高級の家屋、品物と人間たちだけに囲まれて、完璧に清潔に管理された空気の中で、壊れやすい硝子の神経をもつ少年の姿を死ぬまで、演じ続けていればよい。
いまでも上司はあのままなんだろうとおもう。ときどきfacebookをのぞくと未だに精力的に写真をあげている。10年経っても変わっていないようだ。
私はただ自由に、めんどくさい人間関係に煩わされず、自分の住みたい場所で 軽やかに過ごしたいだけだ。
そのための手段として「お金」はもちろん潤沢にないといけないが。その他の仕事はもう自己満足でよい、それでその結果回り回って社会に役立つことになれば、更に良い、と思う。他人が自分をどう思おうが関係ない。信用は大切かもしれないが、なにもかも完璧に見せる必要があるのか?
なぜいつも変な写真をとりまくっては Facebookにアップロードしているのだ。あなたに気を遣って「いいね」を押している(無言の圧力によって押させられている)部下たちの気持ちを考えたことがあるのか?
あほくさくってお話にならない。