大河ドラマ,平清盛が始まった。


「勝てば官軍」,「勝った者が歴史を作る」ということわざに反して,

戦で負けた側の歴史を綴る。


武士の時代を築いたとナレーション(源頼朝)では言われていたが,

豊臣秀吉も関白になったということに鑑みると,

武士が朝廷に憧れて,貴族ごっこを始めたに過ぎないのではないかとも思う。

一方で,大輪田泊に見られるように日宋貿易にも力を入れ,先見の明も見られる。


果たしてどのように平清盛を描くのか。

期待。

ガンジーは,


「間違いを犯す自由が含まれていないのであれば、自由は持つに値しない。」


と言ったらしい。


そもそも自由とは何か。

憲法上は,国民が国家から制約されないもの一般を指すような気がするが,

それは果たして自由といえるのか。


ガンジーのいうように,間違うことが許されていなければ,自由とはいえない,そんな感じもする。

つまり,社会一般に見て,許されていることが自由というのであれば,

そのような自由があることは自明なのであって,あえて保護する必要もない。

かかる自由を超えて制約を図ろうとする国家がイレギュラーであると。


そもそも自由とは何か。

イギリス領の弁護士であったガンジーだからこそ,このような深い言葉を発することができたのであろう。


しかし,間違いを犯す自由は実際あるのだろうか。

人を殺す自由,人から者を奪う自由,これらは認められるのであろうか。


きっとガンジーはこういうことを言いたかったのではないだろう。

イギリスからの独立を図るにあたって,インドでタブー視されていたことが

実はそれを破って新しい時代をもたらそうとしたのだと思う。


日本でいえば,天皇制廃止の議論をするとかそういった類のものになるのではないだろうか。

しかし,現在の日本においてはそのような議論は公でできないことはないし,タブー視されていることなどないように思える。

もっとも,我々が当然と思っていることが実は当然ではないのかもしれない。

身の回りのものを疑うことから,「間違う自由」が生まれてくるのかもしれない。



それにしても「間違う自由」。

響きとしてはすごくいい。

しかし,自己の正当化に用いられてしまいがちであることもたしかだろう。


間違えたら直せばいい。そんな雰囲気であれば,大賛成であるが。




なにか目的を達成するためには「自信」が必要だと思う。

確固たる自信をもって物事にあたる。それが成功の秘訣だと信じている。


しかし,自信も扱い方を間違えると容易く「自惚れ」に転じうる。

特に,ライバルの状況の認識は重要である。

ライバルは大したことはないと思っていると,自惚れになる。

そして,自惚れは大抵失敗を招き,自己の自惚れを後悔することになる。


きっと,多くの人は自信と自惚れを繰り返しているのではないだろうか。

そこで,やはり重要なのは,自惚れに陥らないことである。


では,自惚れに陥らないためにはどうしたらよいか。

おそらく,上述したようにライバルの状況を的確に把握しておくことである。

そして,その把握において,ライバルとなっている部分以外の部分を自己の評価に含めないことが重要であるような気がする。

単純化していえば,性格は悪いけど頭がいいライバルがいたときに,

自己がライバル視すべきポイントは「頭がいい」部分であり,

性格の良し悪しはその競争において考慮してはいけない。


より現実的な例にすると,個々の知識は大したことはないが問題提起能力がずば抜けている場合に,そのライバルを個々の知識がないといって重要視しないことは,その人にとってなんの成長ももたらさない。


頭で考えるのは単純であるが,実践するのはなかなか難しい気がする。

なぜなら,およそ全ての人は自分より優れた部分を有しており,

その部分で競争をしていってこそ自己の成長を促せるのであるにもかからわず,

なかなか他人の長点を見出し,そこを自分に照らしあわせてみることは意識しないとできないことであるからである。

おそらく多くの場合,他人が自己より劣っているところを見出そうとするのではないか。


まとめると,他人の長点を見出すのに優れている人は,自惚れになりにくく,全体的に成長の契機に恵まれているということである。


今後,自己が成長するためには,どんな人であっても長点を見出すことに意識していくことが求められるのではないだろうか。