昨日は暑かった。


夏だから暑いのか、暑いから夏なのか。


どちらでもいいような、どちらでもないような気もするが、

連続更新キャンペーン中なので、

考えてみる。



そもそも、「夏」とは、四季のひとつで、一年で最も暑い期間を指す言葉であるが、

その前提として、「四季」があることは明白である。


そして、「四季」とは、一年を4つの期間に分けたものの総称である。


とすれば、一年という区切りがある限り、必然的に「四季」は存在し、

その一部を担うものとして「夏」も存在することになる。


とすれば、「夏」が存在する限り、「夏だから暑い」といえそうである。


一方で、「夏」とは、暑い期間を特定するものであると捉えれば、

「暑いから夏」であるといえそうである。



すなわち、どちらでも良いようだ。



もっとも、よくよく考えてみると、


暑いのは、気圧の関係上、暖かい南風が日本を覆うためであり、


夏なのは、一年のうち暑い期間中だからである。


とすれば、


「暑いから夏」というほうが正しい気もする。




まとめると、


「昨日は暑かったから、まさに夏だった」


ことになるのか。

(1)

自民か民主か。


小選挙区制に移行して、やっと二大政党制っぽくなってきた。


ただ、どう贔屓目に見ても、民主党に政権を担当する能力はない。


マニフェストひとつをとっても、ステークホルダーの反発によって、

実現すると掲げた政策を変更することは、民主党の政策力不足を露呈させている。


もっとも、自民党も酒ばかり飲んでいるアル中が何人いることことか。


たしかに、「密約」には酒は欠かせないものかもしれないが、

酒を飲むことを仕事とするなら、ホストにでもなれ。



(2)

そして、両政党が掲げる「勝利」とは、一体誰に勝とうとしているのか。


たしかに、選挙はお祭りごと(=政)であって、

盛り上げる必要性は感じている。


しかし、中高生の運動会ではないのであるから、

「勝利」とか「勝つ」とかという表現は、どうしても違和感を感じざるをえない。


そもそも、国政選挙とは、国民が代表者を選ぶものである。


とすれば、最終的には代表者(政党)が選ばれるかどうかは国民に依存するのであって、

政党、ましてやマスコミが代表者を選ぶことにはつながらない。(選ぶ手助けをするが)


すなわち、選挙における、「戦う」とか「勝利」とかという言葉は、

国民不在の選挙を暗示させるような語感を有しており、

個人的に気に入らないというだけの話である。



(3)

以上の議論をまとめれば、

国民一人ひとりが次の選挙でどの政党、どちらの政党を選ぶか、という問題は非常に難しいものであるが、

その標語たる「戦う」とか「勝利」とかいった言葉からすれば、

結局は「勝手に戦っててくれ」と考える国民が存在しうるのであり、

両方の要因が相まって、投票率の低下を招くことにつながることになる、

ということである。


まぁ夏休みだから、そもそも投票率の低下は避けられないのかもしれないが。




「火中の栗を拾う」ということわざを使う機会に今まで恵まれなかったが、

この間、まさに「火中の栗を拾」った。


「火中の栗を拾う」とは、「自分の利益にならないのに、他人のために危険を冒すこと」であるが、

なかなか、使う気にもならず、そして、使う機会に恵まれないことわざである。


もっとも、このことわざは、この上述した意味においては、前者、

すなわち、「自分の利益にならない」ということが、

強調されているように思われる。


つまり、いい意味には使われないことわざだ。


具体的には、「他人のため」ということで、いい意味にもなりそうなものが、

「自分の利益にならない」ということで、プラスの評価が打ち消され、

マイナスの評価となってしまったものが、

「火中の栗を拾う」ということわざになっているといえる。



このような「他人のため」という大義の価値を失わしめるほどの

「自分への不利益」とはいかなるものか。



経験してみないとわからないものである。


と同時に、二度と経験したくないものでもある。