しゃべるのが大好きな人達だから | ドイツ、悪妻愚母のよもやま話

ドイツ、悪妻愚母のよもやま話

主婦にして家事はおざなり、興味あることだけ、猪突猛進の悪妻愚母のドイツ生活

コロンビア人パトリシアのダンス教室で知り合ったフランス人のフローラの誕生日会に招待された。

といっても大きなパーティーではなく、街のカフェで集まってケーキとコーヒーでおしゃべりしましょうというもの。

 

フローラは気さくで優しい人。今までそれほどしゃべったことはないのに、あなたとは何となく気が合うような気がするわ、とありがたいことを言ってくれた。私はどうにもこうにも人見知りする癖があって知らない人がいる場は苦手なのだが、お誘いをありがたく受けることにした。

 

カフェに着いてみると、コロンビア人のアニータと中国人のアリーちゃんという顔見知りもいてちょっとホッ。同じ年代の女の人ばかり全員で6,7人。

 

実はこの会のことを前日、同じく欧州在住の日本の友達に話したところ、

 

「黙っていても向こうが勝手にベラベラ話してくれるから大丈夫じゃない。ほら、あの人達自分のことをしゃべるのが大好きな人種じゃない。うんうんって聞き役に徹していれば、あらいい人ねって好感を持ってくれるんじゃない。(笑)」

 

なるほど、確かに。

 

そこで私は本当に聞き役に徹し、バカンスの飛行機チケットをいつ取るか迷っていると隣の人が話すので、話の水を向けたところ、予想にたがわずやってくれました。バカンスの候補地イタリアの話を皮切りに、彼女が学生時代に今の旦那さんとテントを担いでイタリアでキャンプ生活をした話、その2週間がいかに寒かったか、旦那さんの誕生日を男女別々のユースホステルで迎えた話など延々と一人喋ってくれた。

 

おまけに話題はイタリアだけにとどまらず、今度はフランスへと飛び火し、おすすめの場所、その場所を自分がどうやって見つけたか、その街にはそれはそれは美しい丸い橋があってと表情豊かに語ってくれた。

おかげで私は時折、合いの手を入れたり、質問を挟んだり、まあ素敵と反応しているだけで、自分が話さなくとも会話がすいすい進んでいくことになったのである。チョキウインクグッ

 

昔、海外で初めて外国人に会って、この自分のことをしゃべりまくる文化の洗礼を受けた時はびっくり。

この人達なんで自分のことばっかり喋っているの。全然人に話を回してくれない。あなたはどうなのとか聞いてくれない。なんて自分勝手なのかしらと若かった私は一方的に憤慨したものである。

 

自分のことばっかり話して人のことを聞いてないみたい。サイモン&ガーファンクルのサウンド・オブ・サイレンスの中にある "People hearing without listening"( 聞いているようで耳を傾けていない)の世界だと思ったのである。

 

日本では自分のことばかりしゃべっていたら自己中心的とか、自分のことをしゃべったら次は相手の話を聞く等の暗黙の了解があるが、西洋の人達は一般的にとにかく自分のことを語るのが大好き。まず自分がべらべらと話す。他の人は何か言いたければ自分も割って入り、黙っている人には、話さない人=話したくない人という認識であるから、特に話を振ろうとか意見を聞いたりしないことが多い。

ただし一人の人が多くしゃべったり、他の人の話題に割り込んで話し出してもイヤな顔をされることはない。

 

誰かが「私のところでこういうことがあってさ」と話しはじめ、適当なオチでみんなでアーハハハと笑った後、すぐに別の人が間髪を入れず、「それで私のところでは何とかかんとか・・・」とか自分のことに話を引きめぐらして、みんなでまたそれについてふんふんと聞いていく感じ。そしてまた別の人が話し始める。

 

すごーい、おもしろいですねー、などの共感のコメントはほぼ無し。それってどうなっているんですか、とかその時どんな気持ちがしたのなどの深掘りもないのである。

 

私はどちらかと言うと、一対一の方が落ちついて話せるタイプで、けっこう深い話もできるのだが、グループになると途端に気恥ずかしくなるというか、自分の話にみんなが耳を傾けているのがどうにも慣れることができない。多分自意識過剰なのだろう。

しかしフローラもアニータも南アフリカ出身の人もみんな初対面でも一向に恥ずかしがる様子もなく、堂々と自分のことをしゃべっているので、これはもう文化の違いかと。この国の文化で暮らしている以上、こういう風に恥ずかしがらずに自分語りができる人は羨ましい。

 

その国の言葉が話せるようになっても、この会話スタイルの差に慣れるのはかなり時間がかかるなあと。20年以上住んできてもまだまだ修行中の身であります。