タイの人の優しさ | ドイツ、悪妻愚母のよもやま話

ドイツ、悪妻愚母のよもやま話

主婦にして家事はおざなり、興味あることだけ、猪突猛進の悪妻愚母のドイツ生活

 親切なご近所さんのタイ人、アンポーンが遊びに来てくれた。

 

 アンポーンは、私と2,3歳しか違わないのに、私の(おそらく他の人と比べても)三倍は働き、過労がたたったのか、原因不明の病気となり、今は働きに出ることができない。

 自分の生涯を通して、忙しく働き、他の人のためになることが生きがいだったような彼女にとって、働くことができないというのはどれほどもどかしい事かと思う。

 

 髪には白いものがだいぶ混じり、薬の副作用で体重も増えたが、彼女から溢れるオーラというのか、優しさ明るさはかえって輝きを放っているように思われる。つらい思いを抱えているに違いないが、そんな時でも笑顔を絶やさないのはタイ人の特性か。

 

 彼女がまだ元気で、老人介護のヘルパーとして働いていた時のことを懐かしそうに話してくれた。

 訪問介護の老人の中には、始めは心を閉ざしていて、「何かご入用のものはありませんか」とたずねてもフンッと横を向いたり、「あっちへ行っておくれ!」などという人もいたのだそうだ。

 

 「これまでの人生が年を取ると集約されるよね。とても感じがよくて、こちらに感謝してくれるいい年の取り方をしている人もいれば、寂しさのあまり、頑なに自分の正しさに固執する人もいるの」

 

 老人介護はほぼ大半が東欧など外国からの労働力によって賄われていて、彼女の同僚もほとんどが外国人。その人たちは、そっけない態度をとる老人には反応せず、さっさと用事を終わらせて次に行くそうだが、アンポーンは辛抱強く話しかけたという。

 「あなたがどんな人生を歩んできたのか話してください。私はあなたに興味があるんです」という態度で優しく接すると、そのうち老人たちも心を開いて、自分のことを話しだすようになるのだという。

 

 すごいなー、アンポーンは。私も齢を取った時、是非こういう人にお世話されたいわな。

 

 思えば、私もこちらに来て、ずいぶんと彼女や彼女の友達のタイ人に救われたものだった。

 心身のバランスを壊して、一人でいるのが怖かった時、アンポーンに泣きついたところ、ご近所のタイ人ノックの家で、数人のタイ人女性と鍋パーティーをしている場になぜか私も連れて行ってくれて、そこのソファに寝かせてもらった。

 みんな一人だけ場違いな日本人が紛れ込んでも怪訝な顔もせず、時々話しかけてくれたり、ほっといてくれたり、ちょうどいい距離で扱ってくれた。そしてまあ明るい。笑いの絶えないその場の雰囲気に浸かっていると、言葉もわからないのになぜかホッとしたものだった。

 

 その次は、アンポーンの家にタイ人のお友達が遊びに来るというのに、一緒に来たらいいと誘ってくれ、お言葉に甘えて私も飛び入り。

 その女性もまた嫌な顔をするでもなく、初対面の私とざっくばらんに話してくれ、時々笑ったり、悲しい話をしたり。なにか、飛び入り参加がちっとも不思議でも迷惑でもないタイの鷹揚さを垣間見たのであった。

 

 日本やドイツじゃちょっと想像できない。この人と人との壁が低いというか、あらゆる人を巻き込む大らかさ、沁みるような優しさがタイの人の大きな魅力だなあと思う。

 

 私が心残りなのは、アンポーンが私に対してしてくれたことにして、私は彼女にちっともお返しが出来ていないこと。もっとも彼女はそんなこと微塵も気にしていないのだが。

 

 おまけにアンポーンの老人介護の話を聞きながら、

(すごいなー、アンポーンは。私だったらただ話を聞くだけではなく、こりゃあいいネタが見つかった。ブログに書きたい!となるに決まってる)と思うのが、菩薩様アンポーンとお心の汚い悪妻の差。