小さいけど、ドイツにいるんだと感じさせられた出来事。
朝、パン屋に行った。私の前にはおじいさんの先客がいて、ガラスのケースを指しながらあれやこれやと注文している。
と、そこへ奥の業務用オーブンがピーと音を立てた。パンが焼きあがったのだ。
パン屋のおばさんはテキパキとおじいさんのパンを紙に詰めている。オーブンが再度ピー。いつもはもう一人店員さんが入っているのだが、休憩にでも行ったか、どこにもいない。
おばさんはお客さんを捨ておくわけにもいかず、対応していたが、オーブンが鳴りやまないので、ちょっと焦って、
「お客さん、ごめんなさい。ちょっとオーブンを見てきてもいいかしら。同僚がいるはずなんだけど、聞こえないみたい」
と尋ねた。そこで、白髪の人の好さそうなおじいさん、
「いいとも、ホレのおばさんが叫んでいるからな」
「ま、本当にそうですわ、アハハ」
二人は声を合わせて笑った。私、無言。ホレのおばさん?叫んでいる?何のことだろう。
一人キツネにつままれたような面持ちで忙しく考えを巡らせる。ホレのおばさん、という言葉には聞き覚えがあるぞ。そうだ、たしか子どもたちが幼稚園の時にそういうメルヘン童話があったではないか。
家に帰るや否や、ホレのおばさんで検索をかける。
そうしたら、あったあった、グリム童話に出てくるFrau Holle (フラオ ホレ)という題名で、日本ではヘンゼルとグレーテルや赤ずきんほど有名ではないが、ドイツではどの子もしっているお話しらしい。
内容はメルヘンによくある、美しくて働き者の娘が継母にいじめられてつらい思いをするのだが、ホレのおばさんと呼ばれる老婆に出会い一生懸命働いたので、金の雨のシャワーをもって報われるというお話。
その中で主人公がパン焼き窯のそばを通るとき、パンたちが大声で「出して、出してよう。でないとこげちゃうよ。もうとっくに焼きあがっているんだよ」と叫ぶという一説があった。
これだな!おじいさんが言っていたのは。ピンときた。
ホレのおばさんが呼んでるぞい、というたった一文であるが、パン屋のおばさんもすぐにわかったのだろう。二人で笑っていた。
さすがドイツ。たった1文ではあるが、自分がドイツに住んでいるということを思い知らされた。これだってドイツ語圏で育った人じゃないとわからない会話だよね。
日本だったらさしずめ、桃太郎のように大きくておいしそうな桃ですねえ、とか、かぐや姫の出てきそうな竹林ですね、という会話になるのだろうか。
今日も朝から勉強になったわい、と独りごちながら、今度どこかで似たようなシチュエーションに遭遇したらすかさず自分も「あっ、ホレのおばさんが呼んでいますよ」と使ってやろうと決めたのだった。