6.6.11…「お雛様・因果」⑤
読んでくださった何人かの方からコメントをいただきました。
→→→
○今日も大変勉強になりました
○戦争の話は、母から聞いていました。私には今の子供達に話す体験はありませんが、伝えて行くのは大事ですよねなど。
私も直接の戦争体験はありませんけど、子供時代に戦後の影響下で育ちました。
しかし、私も80歳ですから、
段々語れるは人たちがいなくなっています。
大した体験ではありませんけれど、やはり、そんなことも伝えて行くことも大事かなぁと感じましたので、その辺りのところも、思い出しながら、もう少し書いてみたいと思います。
だた、思いついたままを時系列でもなくかきますので、ご容赦ください。
朝ドラの虎に翼で、食糧統制の立場の判事が闇物資を拒否して、栄養失調で亡くなった場面が報じられていました。
それに近いことは、私も聞いた記憶があります。
私が物心ついてからだから、戦後数年経っていたと思います。
闇米の話、お米は配給制で、配給通帳というのが各家庭に配られていて、それを持って、配給所に買いに行くのです。
配給所には大きな精米機があって、精米した糠を飼料にして、鶏が飼われていました。
茶色の(ちゃぼ)といっていたかなぁ〜(^^)
その鶏が産む卵を幾つか買って……母のために栄養をつける最高の食材です。目に浮かびます。
我が家は、配給のお米も買えないくらい貧乏していました。
「ツケ」で買っていたんですよ⁉️
子供の私や弟がお使いに行かされました。
→→ツケなんか何で出来たのかなぁ??子供でしたから、記憶は定かではありません😭
ご近所の闇米などを扱っているお家に、買いにも行かされました。
小さい子供が行けば、ご近所の人は、可哀想だと分けてくれたのでした。
お米がない日は、すいとんでした。
ニュースでは、当時の信越線で、赤羽の鉄橋辺りで車中の検問があって、窓から投げたりとか、大人たちの生々しい話を耳にした記憶もあります。(続く)